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2019年は私の宝物です 〜1年の振り返り〜

早いもので、今日が今年最後の日になりました。少し長くなりますが、今年の振り返りを書かせていただきます。

今年の初めは「うつ病」からスタート

もう正直に書いてしまいましょう。今年の初め、私は「うつ病」でした。
原因を詳しく書くと長くなるので割愛しますが、生まれてからずっと積み重なった心の傷が、会社での極度なパワハラによりトドメを刺されたからです。

(去年の夏に「適応障害」※うつ病の前段階の病※ と診断されましたが、休むことなく無理を続けてしまいました。それが、結果的にうつ病に繋がったわけです。)

ちょうどその頃、新卒で入社した会社を辞めました。

強がりな私は「うつ病になったので会社を辞めました」とは周囲に言えず、「ライターになるために会社を辞めました」と大切な人たちに報告をしました。 それは真実であったと同時に、大義名分でもありました。

今だから言えますが、新卒で入社した会社を辞めた本当の本当の理由は「うつ病になったから」です。正直に何でも話すことが正義とは思いませんが、信頼している方々に伝えられなかったことは心苦しかったです。

ただ、ごくごく一部の人には伝えました。その一人が、オランダに留学中の親友でした。
 「ついにうつ病になったんだ。会社も辞めた。」
そう電話で報告すると、「じゃあ、オランダ来てリフレッシュする?」と彼女は言ってくれました。


親友に会いにオランダへ行き、すっかり回復

オランダに行くか、悩みました。日常生活ですらままならないほどなのに、海外にひとりで行くなんて。
でも、私は行きました。前進したかったから。どんなに絶望の淵に追い込まれても、私は前を向こうとしました。これを生まれ持った生命力というのでしょうか。身を奮い立たせた過去の自分に拍手を送ります。

結果、オランダに行って大正解。2月に10日間ほど滞在しましたが、その間はうつ病であることを完全に忘れるくらいリフレッシュできました。

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帰国後、精神状態はかなり回復。私は本当にうつ病だったのか?あれは誤診だったのでは? と思うほど。 不思議なことに、海外から帰ってくるといつも見ていた景色が違って見えたのです。「新鮮」という表現が一番近いでしょう。ずっとモノクロだった日常に、やっと色がつきました。

これが必ずしも正解とは思いませんが、処方されたうつ病の薬を自己判断で服用しなくなってからは、ますます回復しました。オランダで親友と過ごした時間がなければ、私はこんなにもすぐに回復することがなかったと思います。


フルタイムの仕事を再開

3月には会社員になりました。それが、今も続けているフルタイムの仕事です。

私はこのフルタイムの仕事が大好きです。仕事内容も仕事仲間も、ぜんぶ。
私が知っている地獄のような職場(前職)とは違い、そこには愛がありました。みんな温かかった。勤務してから2日目、3日目には、その温かさに耐えきれなくて帰り道に号泣したほどです。この職場と巡り会えて幸せ者です。

▼過去にフルタイムの仕事について書いたものです。

安定したフルタイムの仕事を始めたこと、そして温かい職場の人間関係に恵まれたことで私は徐々にアクティブな自分を取り戻せました。ここの職場無くして、今の私はいません。


長年の夢だった雑誌ライターに

そして、6月。私は雑誌ライターとしてデビューしました。

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多くのライターたちが憧れている紙面での執筆。それが、ライター歴わずか数ヶ月の私に叶えられるなんて、夢のようでした。書店に並ぶ雑誌を手にとって涙を流したことを今でも覚えています。あの瞬間、私は確実に世界で一番幸せ者でした。

今年の末には、表紙まで飾らせていただきました。もちろん、執筆の担当しています。

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編集長をはじめとする編集部、そして編集長と出会わせてくれた関係者の方々には頭が上がりません。


ポートクイーン千葉(前身ミス千葉)に選出!まさかのミスコン入賞

雑誌デビューからわずか3週間後の7月。
私はポートクイーンになりました。結果発表で一番最初に名前を呼ばれたあの瞬間は、一生忘れることがないでしょう。  

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自意識過剰と言われたらそれまでですが、なぜ私がポートクイーンに選ばれたのか、今なら分かります。私はあまりにも全力で、あまりにも愛が深い。それは、仕事内容に対しても、関わる人々に対しても。

容姿?能力?それは二の次。審査員が私の何を決め手にポートクイーンに選出したのかは定かではありませんが、梶原よんりという人間に魅力を感じてくれた理由が今なら少し分かります。こんなに極端なくらい全力な人、ほかにいます?笑
そう言い切れるくらい、私は真剣にポートクイーンを全うしました。

▼ポートクイーンの活動まとめ


怖いくらいに順調な1年間

社会に絶望していた私がもう一生出会うことがないと思っていた温かい職場、夢のような雑誌デビュー、これまた夢のようなポートクイーン。

それはそれは怖いくらいに順調な一年でした。語弊を恐れずに言うと、今年は成功しすぎました。でも、この結果は不思議と腑に落ちるのです。


去年は、家族を捨て、職場を捨て、命まで捨てようとしました。
もう、何もいりませんでした。
人生、死ぬタイミングなんて山ほどありました。無条件に愛している人から殴られ続ける苦しみ、職場のトイレで泣きながらおにぎりを食べる屈辱、家でも職場でも心を八つ裂きにされる絶望感。これ以上の痛みに耐えきれなかったのです。

私は一度死んだようなもの。そこまで苦しみ、落ちるところまで落ちたのだから、あとは上るだけ。去年のみならず、今までの長い長い苦しみの年月を考えると今年の幸せは訪れるべきして訪れたのだと確信しています。

私、人生の中で今年が1番幸せでした。狂おしいほど愛おしい2019年は私の宝物です。

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