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ニールマーレ店長が私に対して法的措置を宣言 - 皆様のご支援とご助言をお願いします

カフェニールマーレの店長が、私に対して法的措置をとると宣告したツィートを 5/20 午前1時頃に発信し、状況は大きく変わった。私が 5/16 に note に上げた記事の訂正や謝罪をしなければ、法的措置はすぐに着手されるに違いない。予想していなかった事態だが、客観的に見たとき、窮地にあるニールマーレ(アルバローザ)の立場からすれば、十分に選択してしかるべき反撃の一手であり、すなわち、土佐市役所・新居地区NPO法人との訴訟闘争の前哨戦に位置づけるものと思われる。私との訴訟に勝てば、ニールマーレ側の立場は大いに有利になる。

この法的措置を契機にして、全国の世論が再びニールマーレ側の言い分に傾く。モメンタムが上がる。そして訴訟に勝利すれば、女性店長の奮闘が全国から応援を受けた結果こうなりましたという認識と総括が与えられる。かくして、ニールマーレ(アルバトーザ)側の正義が証明されましたという既成事実が固まる。だから、善は急げで法的措置はすぐに動くに違いない。私の記事はビッグバンを起して世論を変えることはできたけれど、市側と争うニールマーレ側にとっていわば奇貨となった。

訴えを起されれば対応するしかない。私は、長くブログでの言論活動をやってきて、特に政治分野での議論や提起が多かったため、結果として多く誹謗中傷を受けてきた。幾度も熾烈な袋叩きの目に遭ってきた。が、今まで法的措置のトラブルに至った経験は一度もない。ツイッターアカウントが誰かの告発によって凍結された事故も一度もない。今回の突然の宣告が初めてである。

記事は 言論の自由 の範囲のものだと確信している。本人に取材しなければ事件の評論が書けないとは思わないし、取材することが議論を発表する上での必要条件とも思わない。この件について、犬山市議をはじめ多くの論者が取材なしに自由に意見や批判を発し、取材なしに活発に動画を制作して配信している。まず、書きかけの原稿を先に上げ、前回記事を投稿した翌々日(5/18)にネットで爆発し発生した巨大な反響と、それに接した無邪気な興奮を記すところから始めよう。

流れが変わった。空気が一瞬で変わった。高知県土佐市の「移住者カフェ」の問題、これでもう爆破予告だの園児誘拐予告だのの被害はなくなるだろう。愉快犯による高知県と土佐市を狙ったテロ襲撃脅迫の騒動は収まるだろう。5/18一日で事態が変わった。全く予想してなかったことだが、私の note 記事がツイッターのトレンド欄にほぼ直リンクで紹介されるという奇跡が起こり、5/18午前のツイッターで全国トップの話題になった。

5/18午後になり、市川猿之助の自殺未遂事件が発生し、関心はそちらに移ったが、もし猿之助の事件がなければ、午後もずっと注目が続き、1月末の新居浜市別子山と同様、ネット議論を一日中オキュパイする展開になっただろう。5/11のひろゆき・滝沢ガレソと逆方向の巨大な「バズり」の潮流を作り、ネット言論空間を騒然とさせ、この問題の世間の見方を逆転させた。黒と白をスイッチさせた。あるいは、ハーフハーフの平衡まで押し戻した。

カフェ女性店長が叩き出した1億回閲覧数には届かないが、まさに怒涛のようなアクセスが集中し、秒単位で次々とリツィート紹介される流れになり、5/18は興奮してタイムラインに釘づけになった。note の記事のビュー数は2日で100万件を超え、こんなに多くのアクセスを得たのは初めての出来事だ。8年前、イスラム国事件を分析・考察した記事が好評で、1日5万件とか10万件の盛況に満足していた記憶があるけれど、今回はその規模をはるかに凌駕している。

ツイッターのトレンドに載った快挙は初体験だったが、何と強烈で絶大なメディアパワーだろうとツイッターの拡散力と影響力に恐れ入る。桁違いの爆発力だ。ネットの言論空間の環境も一時代前とはすっかり変わった。爆風的な仕様になった。記事への感想の大半は、物事は冷静に見ないといけないとか、店長の告発を信じて拡散に協力したけれど反省するとか、インフルエンサーの扇動に安易に飛びつくのは危険だと判ったという趣旨のものだった。

女性店長を援護しようと支持と賛同を示し、告発マンガを脊髄反射で拡散した者が、自らの軽挙と迂闊を帳消しにする目的で、若干の言い訳を添えて私の記事をRT発信(回覧)している。そういう反応が多い。自分の行動が付和雷同のものだったと認め、この(私の)記事を読んだ上で慎重に判断しようと自戒を述べている。そうしたRT発信が全体の多数だった。

すなわち、世間の見方は一週間前とは大きく変わり、カフェ側を懐疑する視線に傾いた。女性店長の告発が、真実を隠し、都合のいい内容だけを訴えた一方的な主張だと認識されたからである。殺害予告だの誘拐予告だの迷惑電話などしていた愉快犯たちも、5/18のネットの流れはタイムラインで目撃しただろう。彼らに「正義」の立場はなくなった。これまでは、テロ犯罪の行動は「天誅」であると主観的に正当化できたのである。5/18を境にその前提が崩壊した。

つまり、警察に逮捕されても、彼らテロ愉快犯は自己の正当性を言い張る「根拠」を持っていると脳内で「確信」できていたのだ。具体的に表現すれば、「悪いのは移住者カフェを追い出そうとした土佐市と高知県だ。土佐市と高知県の責任を問うて天罰を加えるのが何が悪い。それは社会の正義じゃないか。暴力や嫌がらせという手段は間違っているが、オレの目的は正しいぞ」と、そう法廷でテロリストの弁明が吐けると思っていたのだろう。

だが、その前提が崩れた。カフェの側に明確な正義(法的正当性)はなく、単なるゴネ得狙いの可能性が強く、簡単に言えば、どっちもどっちが真実だからである。かくして正義の所在はイーブンになり、曖昧になり、土佐市と高知県に「天誅」を加えるテロリストの「正義」はなくなった。扇動に踊らされただけの、一瞬の感情で尻馬に乗った、愚かな犯罪者でしかなくなった。この問題をめぐる正義の構図が変わった。正義の意味がなくなり、動機が失われたから、もう犯罪は自然消滅するだろう。


ここまで書き、続きを仕上げてアップしようとしていた矢先、店長からの法的措置宣言を受けた。書きかけの原稿を上げたのは、ここに私の前回記事の動機があるからである。このことは、法廷に立ったときも率直に述べようと思う。あのテロ愉快犯たちの犯罪(爆破予告・園児誘拐脅迫・殺害予告)の連鎖を、誰がどうやって止められたのか。どうなれば止まったのか。それは、ニールマーレ店長の「正義」を崩すことによって、「判官贔屓」の立場的意味を崩し、テロ愉快犯の「正義」を崩すことしかないではないか。世論の空気を変え、流れを変え、店長側の「正義」を相対化するしかないではないか。

どうすればよかったのか。私が最も願ったところの、最短の、いわば劇薬的な荒療治の方法は、建造物不退去・不法占拠を構成要件化して、高知県警がその容疑でニールマーレ(アルバトーザ)の事情聴取に動き、それを高知新聞がリーク報道することだった。その捜査を可能にするために、「南風」指定管理者のNPO法人が被害届を出すことだった。そのドラスティックな展開があれば、世論は一気に変わり、テロ愉快犯の行動は瞬時に止まっただろう。

実際、高知県警はこの問題で頭を抱えていたと思う。テロ愉快犯の犯罪連鎖を止めることができないからである。5/12(金)には、土佐市役所と土佐市小中学校に爆破予告があった。週が明けた5/15(月)には、土佐市内の幼稚園に「園児を誘拐する」旨の脅迫メールが送られた。5/16(火)には、土佐市長への殺害予告が市HPに届けられた。土佐市を超えて被害は広がり、同日、南国市にも爆破予告のメールが送られた。香美市にも同様の脅迫があったと報告されている。5/17(水)には、高知市内の私立中学高校に爆破予告があったことが報告された。

こうしたテロ愉快犯は、警察やマスコミの対応と反応を見ながら、さらにエスカレートの行動に出る傾向が屡々ある。例えばの想像だが、土佐市庁舎のガラスが割られるとか、土佐市長宅に剃刀の刃が送り付けられるとか、NPO法人近辺でボヤ騒ぎが起きるとか..。高知県警の取り締まりが全く功を奏さず、高知新聞が何も報じず静観していれば、テロ愉快犯は自己の安全を確信して、そして騒ぎを県内と全国に一層盛り上げるべく、さらに「天誅」の犯罪行動を過激化させたのではないか。

岸田首相へのテロ襲撃が和歌山で起きたとき、世間は、若い犯人の未熟さや幼稚さに驚き呆れた。が、あの例が教えるように、今の時代は誰が何をするか分からず、どういう心理や思考で犯行をエスカレートさせるか分からない。私が note 記事を上げ、それがツイッターのトレンドに上がって3日経ったが(5/18-5/20)、この問題でのテロ犯罪は止まっていて、効果があったことを示している。それまでは、テロ犯罪者を憎悪して糾弾したり、高知県警の能力不足を憂える空気はネット内で薄く、むしろ「こうなるのもしかたない」「高知県の自業自得」という眺め方が支配的だった。

裁判で私が勝つか負けるかは分からない。戦いとなれば全力を尽くすのみ。記事の内容が、憲法で認められた言論の自由を超えるものとされるなら、評論や批評はこの国で成立しないことになる。

ニールマーレ側が私に勝つということは、意味としては、高知県が「田舎」としてとことんバカにされ、それを自虐的に承認し、抵抗もできずに屈服するということに他ならない。あのマンガの告発ツィートが狙いどおり成功するということだ。私は、そんなことは断じてあってはならないと思う。この問題は、決してニールマーレとNPO法人の小さな対立と紛争ではないのだ。本質は、「田舎」に対する差別と偏見の扇動の問題である。全国の「田舎」が侮辱攻撃され、「田舎」への悪意が動員されて利用された問題だ。私の主張を是とされる方は、どうかご支援とご助言をお願いしたい。


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