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これからの会社員の教科書 【書評】

昭和の熱血サラリーマンからITベンチャーのカリスマまで、色々な文化の中で実績を挙げてきた田端さんから学べることは多く、ベテランから新人まで読んで欲しい1冊です。
内容は昭和世代には割と当たり前だったりしますが、ビシッと指導してくれる上司のいない若者には、ぜひ今後のために覚えて欲しいTips盛りだくさんです。

〜本文抜粋〜

仕事では、なによりもきちんと「ゴール」を把握しておかないといけません。 この仕事は何がどうなったら成功なのか? 誰のために、何をすればいいのか? その「ゴール確認」は仕事の必須事項です。

→言われたことしかやらない、仮説もなくどうすればよいのか相談してくる、こういった新人が増えています。しっかりゴールを決めて、自らコミットした目標に対して主体的に動いて欲しいですね。

 頭脳労働の仕事というのは、だいたいこういう「どちらかを立てれば、どちらかが立たない」トレードオフの関係になっています。 「部下の育成」と「その部署の短期的な業績」はかならずしも両立しません。また、「新規の顧客獲得」と「既存顧客の満足度」も、だいたいトレードオフです。こういう両立できないものを振り子のように行ったり来たりしながらレベルアップしていくことが大事なのです。

→短期的な予算だけを目標にする組織は、中長期的な発展がありません。短期目標を注力しつつ、何より長期目標も着実にこなせるリーダーこそが、マネジメント能力を評価されるべきでしょう。

ダメなビジネスパーソンの典型は、電話で連絡をして相手がぜんぜん出ないのに電話をかけ続けるような人。メールを送ってまったく返事がないのにメールを送り続けるような人。ある手段で連絡をして反応が悪いのに、同じ手段を繰り返し使う人はセンスのない人なのです。

→応用力のない人はセンスがない。センスは知識から生まれる。

その情報は「曖昧な段階での状況報告なのか、決定した後の確報なのか」「自分の解釈が入った意見(オピニオン) なのか、客観的な事実(ファクト) なのか」をきちっと区別しておくことです。  基本的に決定前の情報をむやみに共有するのはNGです。

→ホウレンソウすらままならない人は、普段の会話はどうしているのか不思議でしょうがない。学生時代に、より多くの本やコンテンツに接してきたかどうかで、その人の人間性がよくわかります。

相手の専務にとっては、「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」のほうが重要だったのです。役職が上にいくほど、そういう文脈の世界になっていきます。「この人が言うなら間違いないだろう」「この人から来る仕事はすべて受けよう」。これは信頼関係がなければできないことです。

→現場からすると、汗水たらさず肩書で仕事をする人が疎ましく思えることもありますが、実際は鶴の一声で何事もスムーズに進んでいくのです。であれば、それを最大限利用して感謝するべきですね。

上司は議事録を見ることで、新入社員が会議の内容をどれくらい理解しているかをチェックしています。新人からすれば、上司に対して自分が理解できていることをアピールする機会になります。

→議事録すらまともに書けない人には、会社が国語から指導しなければならないのだろうか、、この辺の基礎力は自分で常に磨いて欲しいものです。

ビジネスでは、この「事前ヒアリング」を「根回し」と言います。  根回しとは、事前に懸念点を把握し、反論への対策をしておくための予習なのです。すると会議でも的確に答えられるようになります。
根回しとは、事前の懸念つぶしです。ただ懸念やリスクをつぶしすぎると丸くなる。根回しではなくて、根腐れです。そのあたりのさじ加減を考えながら行なうことが大切なのです。

→若い時は社内派閥や上司へのごますりを敬遠していましたが、歴史から学んで歳を重ねると、根回しの重要さが身にしみます。
明智光秀や石田三成といった戦国時代の天才たちは、「義」に頼りすぎて狡猾な根回しを出来なかったために、忠なき者に破れました。
そうして出来た歴史の結果が、今の社会です。だからこそ、この社会で生き残るには根回しが重要だといえます。

仕事がうまくいったからといって、その人が「人格的に」偉いわけではありません。逆に仕事でミスったからといって、その人が「人格的に」価値がないわけではないのです。あくまで仕事上のパフォーマンスと人格は別です。そこは切り分けて考える必要がある。ミスに対しては上司も責めるけれど、それはその人を責めているわけではないのです。

→ここを明確にしないと上司はパワハラと言われてしまうし、業務指導すらパワハラと言い張る新人が増えてしまうのです。

ちなみに「社長」とか「CEO」という言葉それ自体には法的には意味がなくて、商法の規定には「代表取締役」と「取締役」があるだけで、それ以外は全部ただの従業員、もっといえば使用人です。つまり取締役は法律上に規定されている存在だけれど、執行役員というのは、商法上では、何でもないただの従業員の一種です。経営者のことを社長とかCEOとかいろんな呼び方をしますが、法律的には何かが変わるわけではなく、ただの社内的な呼称にすぎないのです。

→余計な肩書の多い会社は、社内にばかり目を向け過ぎな気がします。

同期なんて、たまたま「研修」という儀式をシェアしただけ。それを根拠に線を引いて「ぼくら同期とそれ以外」としてしまうことに気味悪さを感じます。同期=友人ではないのです。
入社して最初のうちは「同期飲み」が月1くらいで開催されたりします。それは別にいいと思います。ただ、いつまで経っても同期とだけしか飲んでいない人間はダメです。類似性が高い、同質性が高い人とばかり飲んでいても何も生まれません。もっと異質な人と関わり合わないと、創造的なプロフェッショナルにはなれません。

→一時的な研修を一緒にしただけの同期より、常日頃一緒に行動するチームの絆を大切にすべきだと思っていますが、学生ノリの新人は、仕事よりも楽しく話せる相手が一番みたいです。それで仕事の質が上がれば良いのですが、同期で愚痴を言い合って慰め合うような非生産的なコミュニティはなくしたいですね。

よく大企業の社長が電車通勤することが美談になります。あれもおかしい話です。本当にプロフェッショナルの経営者であれば、社用車などの静かで快適な環境の中で最大限のハイパフォーマンスを発揮すべきなのです。  プロフェッショナルを目指すなら、入社1年目からそういう意識を持っておいたほうがいいでしょう。  自分の時給はいくらなのか? どれくらいの生産性を出さないといけないのか? そういう意識で仕事をしないと、ただの「労働者」で終わることになります。

→どうしても日本人は倹約質素が美談になりがちですが、もっと合理的に判断しても良いと言えます。





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