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生まれてこなかった春

「2020年の春は存在しなかった」

今年もあと何ヶ月で終わるねっていう会話が上がった時、私はいつも決まってこの言葉を口にする。

2020年の春に入る前、突如として新種のウイルスが発生したのは全世界の誰もが認知している。
パッと出のウイルスにより、国は緊急事態宣言を発令し、多くの人々が外出自粛を余儀なくされてしまった。

今でもたかがウイルスごときに予定を潰されたかと思うとなかなか良い気にはなれない。
何せ私は邦ロックが好きで、今年は今まで行ったことのないバンドのライブにも積極的に行ってみようと意気込み3月から5月にかけて四組以上のバンドのライブのチケットを取っていた。
各バンドの見せる生の音楽を楽しみに社畜を全うしていた。まさに推しのためなら働く精神で。
それが全てパーになった。
あるバンドマンの言葉を借りるが、実体化していたら殴り倒したいくらいの勢いだ。

しかし、そう思っているのは間違いなく私だけではない。
遊び盛りの子供も、新学期に胸を弾ませていたであろう学生も、おじいちゃんもおばあちゃんも。
春にできるはずの思い出は、全て新種のウイルスに奪われた。

おろしたてのスプリングコートも
人に見られるために咲いた桜も
思い出を更新するための楽しいイベントも
人の心を揺さぶる音楽を届けるライブも

他にもたくさん。
全部、目に見えない怪物が奪い去ってしまった。

しかし、「奪われた」という表現は非常にマイナスのイメージが強い。
台無し、消えたとも言えるそれは、ゼロからさらにマイナスになってしまう。

だから、2020年の春は「奪われた」のではなく最初から「存在しなかった」ものとしてみた方がまだマシだと思った。
そもそも存在しない。要するに生まれてこなかったから、プラマイゼロ。
だから、この先も2020年の春はなくなったのではなく生まれてこなかったと表現し続けると思う。

2021年の春は、ちゃんと生まれてきてくれるといいなあ。

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