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もう一人のダーウィン


7/27追記 記事の末尾に他の方の記事の紹介を加えました。ダーウィン関連とウォレス関連を一つずつ。とても良い内容です。

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noteに何を書こうかなと思って雑学の本をめくっていたら、こんなクイズに行き当たりました。

「ダーウィンに進化論をひらめかせた鳥は?」



フィンチ?と答えたあなたは私と同じ、不正解。正解はマネシツグミ(mockingbird)らしいです。ビーグル号で航海中(1831-6)、ガラパゴス諸島に滞在にしたダーウィンは、確かにフィンチの標本を集めはしたけれど、特に興味を持たず、それぞれのフィンチを採取した場所すら書き留めていなかったそうです。彼の進化論の本『種の起源』にもフィンチは一度も登場しないようです。
「フィンチ=ダーウィンの進化論の鳥」というイメージは、1947年にデヴィッド・ラックという生物学者が出した「ダーウィンフィンチ("Darwin's Finches")」という本によって広まったということです。しかも、ダーウィンがフィンチと思っていた鳥は、実はフィンチではなく、フウキンチョウ(tanager)という別の鳥…というオチ。(つまり、ダーウィンフィンチと名づけられた鳥は、フィンチとは別物)


ところで、私はダーウィンと聞けば、ワンセットでA. R. ウォレス(Alfred Russel Wallace)を思い出すんですが、皆さんご存じでしょうか。
「もう一人のダーウィン」とか「ダーウィンでない方の男」なんて、ちょっと気の毒な呼ばれ方をされたりする人です。インドネシアで調査旅行中に異なる動物相の分布境界線「ウォレス線」を発見したことから、「生物地理学の父」と言われることもあり、そこそこ有名なんですが、ダーウィンの知名度にはまったく及びません。

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ウォレスは、金持ちの坊ちゃんのダーウィンと違ってそこまで金持ちでない家の子で、実家が貧乏になったことで大学にも行っていません。それでも測量技師として働くかたわら、大好きな昆虫採集に勤しんで、独学で博物学者になりました。

ブラジルのアマゾンや、マレーシアやインドネシアでフィールドワークを行い、ダーウィンと同時期に独自に進化論にたどりついた彼は、その小論をイギリスで既に有名な生物学者だったダーウィンの元に送ります(彼もこの時点ではまだ進化論未発表)。そして、二人の論文はダーウィンの名前を前に出す形で共同発表されました。
ダーウィンのネームバリューを使わないと相手にされないので、仕方がない措置だったようです。でもウォレスがそのことに嫉妬や不満を表したことは一切なかったそうです。それどころか、「ダーウィニズム(進化論)」という言葉を最初に使いだしたのは彼だそうです。こういう妬みとか虚栄心とは無縁な、精神的に豊かな人生というものに本当に憧れます。

私はどうも判官びいきだし下克上万歳だから、断然ウォレス推しで、ダーウィンの『ビーグル号航海記』はスルーして、ウォレスの旅行記を読みました。

金持ちに珍しい生物の標本を持ち帰る約束をして旅のパトロンになってもらったり、マラリアにかかって死にそうになったり、現地人の助手がさぼるので自分でせっせと動物や鳥を捕まえては剥製を作ったり…。フィールド学者ってのは素敵な仕事ですね。

最近、構造人類学者のレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』(1955年)という本を読み始めたんですが、これもアマゾン奥地の原住民の調査に行っているんですが、やっぱりこういうのっていいなあ。船旅で、伝染病のワクチンとかもなくて、すごく大変そうですが。
文明や窮屈な人間社会から離れたい願望ですね。出家と似たところがあります。俗世間から離れて自然の中でひたすら好きな研究に没頭。(レヴィ=ストロースはサンパウロ大学の社会学の教授の職を得てブラジルに行ったので、ちょっと種類が違いますが)

ちなみに、私が初めてウォレスの名前を知ったのは、学生時代に読んだ少女漫画でした。彼と現地の少女の恋物語。
日本の一般人の教養レベルが高いのは漫画のおかげなんじゃないだろうか、とよく思います。なぜ諸外国は見習わないんだろうか。オタク人口を増やしたくないのかもしれない。



ありがたくいただきます。