ちょ、そこの元サブカル女子!付録①百人町の白い花

 アルバイト先で意気投合した女の子と、このあと踊りに行こう、新しいクラブができたらしい、という話になった。当時の私は二十一歳、一九九七年。電子音楽の〈四つ打ち〉のダンスミュージックが流行していた頃のこと。


 新宿の歌舞伎町・区役所通りを抜けて新大久保の方向へ。通称〈職安通り〉には女の人がずらりと並んでいる。ラテンアメリカ系、アジア系、皆、背が高いという印象。外国人だからなのか、高いヒールの靴を履いているからなのか。深夜零時を過ぎたのにふらふら歩いてきた日本人の女の子二人を無言で訝しげに、いまいましげに一瞥する。黒光りした高そうな車がスーッと停まり、女性を一名拾う。金銭交渉の会話などなく、ドアが閉まり、そのまま走り去ってゆく。
 この道はなんかまずいね、と一本脇の路地に入った。
 目的地は近いはずだけど看板は知らないし夜だし完全に迷子になってしまった。ハングル文字のお店はたくさんあるが日付が変わって灯りは消えている。どうしよう。
 「あんたたちなにやってんの」喉仏のある声で話しかけられた。坊主刈りに厚化粧の〈元男性〉風の人。「えっと、この辺に新しいテクノ系のクラブがあるらしくて探してるんですけど…」「そこならガード下をくぐって右。青い看板出てるからそこよ」私たちを追い払うように、しかし親切に的確に教えてくれた。「ありがとうございます」彼というか彼女というかその人の客筋は人目を憚る趣味の持ち主だろう。われわれはお仕事の邪魔だ。言われたとおり高架の下を越えてまっすぐ進む。すると狭いビルの密集地から、急に視界がひらけた。


 更地になった一画、そこに真っ白な花が一面に咲いていた。
 背の高い枝から喇叭型の花が数え切れないくらい垂れている。「すごい、綺麗、何これ、夕顔?夜顔?」「これ、チョウセンアサガオだよ。こんなにたくさん…」「なんで?韓国人街だから?」「そういうわけではないと思うんだけど…」「きれいだね。なんかすごいね」「うん…」
 ビルひとつ分の広大な造成地にチョウセンアサガオが林立し、大きく真っ白な花を夥しく提げている。千や二千はかるいだろう。灯りの消えた夜の街に出現した花園。私たちはしばらくそれを見つめて立ち尽くした。
 青い看板のお店は教わったとおり無事見つかり、始発電車が動くまでそこで踊ったり座ったりしながら時間を潰した。お客さんはあまりおらず、友人はお酒を飲まないので、二人で前衛的なデザインの大きなソファでごろんごろんしたりした。


 ふとした拍子に思い出すのだ。あの白い花の大群落を。洗濯物をたたむ。お豆腐を買いにゆく。バラエティ番組を眺める。音信の途絶えた彼女は思い出すことはあるだろうか。遠い町で子育て中だという。もう忘れてしまっただろうか。二十年前の数分間の光景は。ビル街の空き地に真っ白な花。それはただならぬ数のチョウセンアサガオ。混沌とした街の中で、静謐な迫力をもって。


 ときどき思い出す。きっと、私は、八十歳になっても百歳になっても思い出すのだろう。あの風景を、何かの拍子に、前触れもなくにわかに、脳のなかに、あざやかに。

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