ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 第一回/だいたい三十回ぐらい書きます

【1989年・平成元年・13歳・中学1年】

☆一月、昭和天皇崩御
 「六時三十三分」と友達がだしぬけに呟いた。この時点では私は静岡市立竜南小学校の六年生。冬休みの終わるまえに家に遊びに来ていた友達。1月6日のニュースで繰り返し聞いた言葉が昼を過ぎても耳に残り、彼女の口から出たのだろう。そしてそれは私の耳に今でも残っている。

☆二月、イカす!バンド天国放映開始。
 それまでは、CBSソニーの雑誌「GB」に載るようなアーティストを好んで聴いていた。TM NETWORK、BARBEEBOYS、REBECCA、渡辺美里、松岡英明、岡村靖幸など。
 当時はレンタルCDをカセットテープに録音して友人同士で貸し借りするかたちで音楽が流通していた。MAXELLやAXIAなどの透明でカラフルなデザインのカセットテープが売られていたが、私はTDKのグレーの、中心だけに透明の窓のついたデザインのものが好きだった。その渋い感じからなんとなく音のよさを重視しているような印象を受けていた。また、ハイファイ、メタルテープなどというものも売られていた。はたして音響のよさを聞き分けられていたのかは疑問であるが。レコード屋さんやレンタル店のレジには、ラッセンの絵のような南国のリゾート地を描いたCDラベルも吊るして売られていた。
 CDラジカセは、わが家にあったのはビクター社の「CDian」。BUCKーTICKがコマーシャルをしていたものだ。
 TM NETWORKの小室哲哉氏は、音楽への情熱と知性を感じさせる大変かっこいい人物だった。「てっちゃん」と呼んでいた。松岡英明氏も、王子様のようなキャラクターで、そこに「岡村靖幸さん、ぼくのツアー先のホテルに、もしもしぼく岡村ちゃん。と電話をしてくるのやめてください」という仲良しエピソードや、遊佐未森さんの美しい声に惚れ込んでwinter white rainという曲を書き上げ、コーラスに参加を依頼するも断られ、ロンドンレコーディングでスタジオの女性ボーカリストに代わりに歌ってもらったという片思いストーリーも心をくすぐるものだった。
 静岡市立安東中学校に入学し、周りが光GENNJIなどを愛でているなか、二歳上の姉の影響でアイドルやタレントではなく「アーティスト」を聴いていることに優越感を感じていたのだが、クラスメイトのちょっと変わったマツダさん(仮名)という女の子から「イカ天て知ってる?」と話しかけられた。たしか秋の運動会にむけて練習の日々。観始めた。
 なんだこれは。テレビは自宅一階の四畳半の自室に、その部屋の元の主の亡き祖母から引き継いだダイヤル式の古いものがあり、土曜日深夜零時半から始まるその番組は、毎週欠かさず観るようになった。三宅裕二と相原勇の司会で、 観始めたときはカブキロックスが「イカ天キング」だったが、すぐ後に、たまが登場した。らんちう。ロシヤのパン。そして、さよなら人類。オルガンの柳原洋一郎、マンドリンの知久寿明、ベースの滝本晃司、ドラムの石川浩二。貧乏くさいのだけど、ダサいのとは違うファッション。かつて私が、たぶん誰もが聴いたことのない完全に新しい音楽。名曲の数々で何週もキングの座に君臨した。
 人間椅子、フライングキッズ、AURA、池田貴族、大島渚、宮尾すすむと日本の社長、マルコシアスバンプ…とにかく変な人たちが次々と出てきた。審査員でよく覚えているのは萩原健太氏、そして吉田建氏。知性を感じさせる眼鏡姿に、毒舌コメント。バンドマンとは遠い世界の人間に見えるスーツ姿の生真面目そうな人だけれど、発言にはロックンロールへの造詣の深さがある。ふだん私が生きている世界、ふだんみんなが観ているテレビ、そういうものとは違うなにかがそこにあった。ソニー系のミュージシャンたちは、皆とても、スタイリッシュで音楽の教養が深く真善美、愛や夢を歌う「理想的」な人物像だった(岡村靖幸を除く)。ここに出てくるのはそうではない。奇抜な、奇怪な、かっこいいんだか悪いんだかわからない衣装で、「人間、失格~!」「二枚でどうだ!」などと言っている。なんだか、こちらに「本当の世界」があるような気がしたのだった。

第二回へつづく。

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