とあるアニメからものづくりから逃げていた自分の人生を見つめ直した話。

 久し振りにnoteで長い文章を書こうと思った。理由はとあるアニメを1クール観て、自分の心が震えたから。感動して、自分の人生と向き合おうと思ったからである。どのくらいの長さになるか分からないが、自分の今までの人生も踏まえて書いていくから、純粋にアニメの感想だけを知りたい方はごめんなさい。あと、13話(最終話)まで視聴済みのため、ネタバレ要素も含みます。吐き出させてください。

 オンラインゲームからのアニメ化

 勿体ぶって、まだ何のアニメか書いていなかった。失礼しました。とあるアニメというのは、『文豪とアルケミスト~審判の歯車~』というアニメ。原作はスマホやパソコンでプレイできるオンラインゲームで、音楽も立ち絵も美しい。私は元々ゲームをやっていたので、アニメ化の発表を聞いたときに滅茶苦茶滅茶苦茶滅茶苦茶嬉しかった。地上波はテレビ東京などでしたが、ニコニコ動画でも観ることができたから、救われた。感謝感謝大感謝。

アニメのあらすじ

 Twitterのハッシュタグだと#文アニが一番有名だと思う。ネタバレを気にしない方は、一度検索してみてもいいかも。一言でまとめるなら、近代文学で名を馳せた文豪と呼ばれる者たちが、侵蝕者と呼ばれる文学を黒く染め消滅させようとする者たちと戦うために侵蝕された本に潜書するお話。アニメ12話にて文学は人々に個性を与える存在で、侵蝕者は文学に対する嫉妬や憎悪の集合体ということがはっきりと明示された。なるほど!もっと細かく書くことも可能ですが、今回は割愛。

13話(最終話)について(ネタバレあり)

 ある文豪のドッペルゲンガーのような存在が、自分自身の文豪を助けるために侵蝕者となり、文豪と戦うことになる。ある文豪が『小説家』でなければ、きっと自殺を選択せずに心穏やかに過ごせただろう。世間の評判や家族を守るために、小説を書き続けなければいけないという考えに囚われずに生きていってもらいたい。ドッペルゲンガーはそう考え、侵蝕者になり、仲間の文豪たちをほぼ根絶やしにした。

 しかし結果を言ってしまうと、ドッペルゲンガーは自分自身の文豪と一騎打ちを行い、負けて消滅してしまう。最後に自分自身の文豪から「友人でいてくれてありがとう」という内容のことを言われて歯車となり、自分自身の文豪の中に消滅(吸収)される。なお、ほぼ根絶やしにされた文豪たちは一騎打ちの前に蘇っている。ドッペルゲンガー自体はある文豪がイマジナリーに創った存在ともいえるので、ある意味本懐を遂げたとも言えるし、文学を侵蝕してしまった罪を許されたとも言えるかもしれない。

私の罪のような後悔

 私は最終話まで視聴し終えて、このアニメは現代のものづくりに対する制作者(送り手)と視聴者(読者や受け手)の関係性の流動性を示していると感じた。一昔前までは、終身雇用制とか公務員になれば一生安泰って言われていたのが懐かしい。

 そして、私自身も芸術に対する侵蝕者になってしまっていたことを思い出した。

 Nちゃんという絵が得意で頭も良くて運動神経もいい女の子がいた。中高が一緒だったので、クラスは違っていても仲良くしてもらった。

 高校のときに彼女は美術部に所属し、私は新聞部に所属していた。新聞部では部員が書く記事以外の記事(投書や読者欄など)には空きスペースが出ることがあった。それを穴埋めするために、美術部に依頼することがあった。規定や協定もないのに、無償で協力してもらい提供してもらっていた。今考えると、搾取に当たるんじゃないかと思い、申し訳なく感じている。

 Nちゃんからもカットをもらったときがあった。もらったときにはきちんと「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えることはできていたと思う。

 ただその行為を「当たり前」であると思ってしまっていたという事実は今でも残っている。最悪な人間性だったと思う。

 この世に存在している全ての芸術や表現は、人間が作り出した奇跡そのものということを思い出すことができたのは、僥倖だった。DVDを購入したので、観れる環境が整い次第、滅茶苦茶観続けるぞ!!!この作品に出会えて良かった。雷が近づいてきたので、ここで終わります。文章は難しい!