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2021.6.18立てこもりと一億円と和牛の気持ちについて

 ネットカフェに男が立てこもっているらしいですね。彼はなんでそんなことしてしまったのでしょう。立てこもり事件の検挙率は100%と聞いています。成功率の低さは調べればわかるではないですか。ネットがあるんだから。きっと、最初はカッとなって人質をとってしまい、冷静になったころには後戻りできないほど大ごとになっていたのでしょう。友達と喧嘩して謝ることができず、ますます気まずくなっていく二人の関係に似ていますね。正しい謝罪の方法を学校で教えるべきです。素直にゴメンナサイできればあんなことにはなってあああああああ。すみません、思い出し嘆きです。

 某金融機関で働いていたときに、先輩から授かったアドバイスで印象に残っているのが、「金持って逃げるなら一億円以上」です。金融機関なので、いつも手元に札束がありました。なかには出来心で拝借してしまい、破滅してしまう職員もいました。海外逃亡まで視野に入れるなら一億円はほしいところです。しかし、残りの人生毎日ハラハラして過ごすなら、一億円では安過ぎると思うのですが、皆様はいかがでしょう。一度、一億円と残りの人生を天秤にかけてみてください。ぼくはノーリスクで5000兆円欲しいです。

 なにごとも、いっときの気の迷いで行動に移してしまうと後悔しますよね。できることなら、あのころの自分に忠告してあげたいものです。「メンヘラの女の子に気を付けろよ」と。ああああああ。

 話題は変わりますが、短歌の本を読んでいます。『ぼくの短歌ノート』という、現代歌人穂村弘が投稿された短歌にコメントする本です。読んだか読んでないかわからない状態で部屋の隅に転がっていたので、読み直しています。結論から言えば、読んでいたけど読んでしまいます。
 短歌、面白いです。でもきっと、短歌に馴染みのない方にとっては学校で教えられた故人の妄言くらいの感覚なのでしょう。季語が必要かどうかも覚えてないはずです(短歌に季語はいりません)。学校教育の弊害ですね。「どういう意図で書かれた作品か」とか「作者の気持ちを考えなさい」とか、クソ食らえです。
 たとえば、この短歌の書かれた意図を考えてみてください。

最期には納得できず死んで行く和牛たちよ今年は干支だ    二宮正博

 意図もへったくれもないですよね。食べられるために育てられた和牛たちに同情する目的があるにせよ、今年が干支であることは一ミリも救いになってい。そのズレが面白おかしいのです。あとはこんなの。

あ、http://www.jitsuzonwo.nejimagete.koiga.kokoni.hishimeku.com
萩原裕幸

 文字化けでもないし、リンク先に飛ばなければ読めないものでもないです。以下、著者の感想です。

作中に含まれているのは、おそらく架空のアドレスだろう。異次元への跳躍の予感を孕んだ奇妙な文字列そのものを利用して、あくまでも一種の内部に詩的な価値を生成している。だが、もしも、本当に飛べてしまったら、その先に目眩く世界があったら、どうしよう。

 ね、自由でしょ。意味はおそらくないです。あっても、それほど重要ではありません。知ってもたぶん、生きる上でなんの役にも立たないです。でも、愛おしい。こんなふうに短歌には、言葉の飛躍を楽しんだり、リズムを楽しんだり、サスペンスを楽しんだりと、様々な驚きや感動があるのです。
 短歌にせよ学問にせよ、意味がないから面白いのです。勝手に妄想膨らませて、グフフと下卑た笑いを漏らすのが学問の楽しみ方なのであって、何かの役に立つか否かは二の次三の次なのです。
 みなさんも気負わず現代短歌を楽しみましょう。

 さあ、今日もそろそろお別れの時間です。長いようで短い1000文字(もう1500文字)。この短時間で、ぼくは熱々のコーヒーを内股にこぼして叫び声を上げること、二回。コーヒーを飲むときは内股を隠そうと強く心に誓ったのでした。それではまた明日。


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