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大人の学びは、大人の遊び


昨日で100note連続更新、今日で101note連続になる。

前回の連続更新のときは、80回くらいで「今日はもう書けない…!」と思って諦めた日があった。
仕事が忙しい日で、昼休みや仕事おわりの時間が取れず、急な飲み会が入ってしまった…というような日だった。

今回100noteの連続更新は、ひそかに望んでいたことで意識していたこと。


最近の日課は2つだけ。

・noteを書く
・英語で2分スピーチをして、Twitterに投稿する

この2つの日課をしていくために、日々トピックを探しながら過ごしている。
2つだけの日課だけれど、そのために1日なにを書こう、なにを話そうと探し回っている。

今日に関しては、2分スピーチのトピックに対して考えがまとまらなくて諦めた。
それは2分スピーチをすることではなくて、トピックを考え詰めることを、だ。2分スピーチは「トピックないです」というトピックで話した。

noteに関しても、「書けないこと」をトピックに書くこともある。

それは連続更新を続けたいだけではなくて、ただ純粋に2分スピーチもnoteもすきだから。


大人になってからは、「すき」を理由に続けたり、挑戦することが多い。

学生時代は勉強するのは、テストのためでしかなかった。
きっとテストがない学校があったら、勉強はしなかったと思う。

学びは、義務だった。

だけれど学校から卒業すると、学ぶことよりも成果が大切になった。
仕事では過程よりも断然成果が大切で、こころよりも頭で考えることが多くなっていく。

そんな風に過ごしているとすこしずつ学ばなくなることもある。
学ぶことがあっても、それは義務ではなくなっていた。

大人になってからの学びは、義務ではなくて「好きだから」「楽しいから」という前向きな気持ちから生み出されている。

わたし自身は英語の勉強がすきで、仕事の時間以外は勉強していたいなぁ…と思うくらい。
だけれど、それを周りの人に言うとちょっとだけ引かれることもある。

大人になってからの学びは、真剣な遊びなんだと思う。

そこには個人的に成果を求めているけれど、自分以外の人からすれば成果を出しても出さなくてもどちらでも構わないことでもある。
それでも頑張りたい欲が出るのは、もう理屈じゃないよなぁと思ってしまう。

「すき」で「楽しい」ことを続けていく中で、成長や成果が出てきてくれるのは分かりやすくモチベーションが上がっていくし、さらに楽しい気持ちが育まれる。
ただ夢中になっただけで、気持ちまで満たされるのはご褒美のような気持ちになる。

大人の学びは、遊びでもあってご褒美でもある。

そんな風に考えている。


最近はすこしずつ、自分のすきなことのその先が見えてきている。
それを叶えるためにも、またひとつ学びを重ねていきたいなぁと考えている。

その根底には、「ただすきなことを夢中でやってみる」気持ちがしっかりとある。

忘れてしまうと、成長や成果だけにとらわれてしまいがちになりそうだから大切にしていきたい。
いまは目の前の「すき」って気持ちと向き合って、自分のこころに誠実になっていきたいな。



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