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『逃げる』ということ、それは人生におけるひとつの選択肢


ノルウェーのワーキングホリデーに出ようと思って、両親にその話したときに言われた。

「逃げているだけだよ」


なぜか分からないけれど、なにかを辞めること、なにか新しいことを始めることをよく思われない風習がある気がする。
何事も継続することが美であって、やめることは悪で逃げていると思われている。

「一度逃げると逃げ癖がつく」
「やめることの繰り返しでは、いつまで経っても新人のまま」
「社会的な信頼がなくなる」

もちろん、継続した先に見える景色もあって、続けてみることに意味があるとは思っている。

それでも、世間的な観られ方を気にした上での継続には、果たしてどんな意味があるんだろう。


苦しくても、やりたいことのために頑張る。
いまが踏ん張り時と思いながら、愚痴を言いながらもやってみる。
期間が決まっていて、その間は諦めない。

そうではなくて。

ここから逃げ出したら、次はないから居続けないといけない。
苦しいのに、周りに批判されるのが嫌で、みんな苦しいから自分も苦しいのは当たり前。
こんなことで弱音を吐くなんて、なんてだめな人間なんだろう。

そんな風に、だれが決めたかわからない逃げてはいけないという呪文に縛られている人も多くいると思う。


でもふと思った。
逃げるって一体なんだろうって。


だれかにとって、なにかをやめることかもしれない。
だれかにとって、なにかを諦めることかもしれない。
だれかにとって、責任を負わないことかもしれない。

共通しているのはきっと、『一度決めたことに背を向けること』かも。

なにか目標があって、はじめた習い事。
なにか目的があって、入った学校。
なにかを夢見て、入った会社。

はじめるきっかけはそれぞれでも、なにか心に描くものがあったはず。
そこに対して、うまくいかないから、自分に合わないから、他にやりたいことができたから。いろんな理由があって、やめることを考えたり行動に移したりする。

それって、本当に逃げていることになるのかな。


自分でちゃんと考えて、「やめる」「逃げる」ことを選択したなら、それは悪いことじゃないと思うんだ。
新しいことに挑戦することって簡単じゃないし、途中から始めることなら先に始めていた強力なライバルだって現れる。
いちについてよーいどん、で平等に歩み始める人生なんてない。

人生ながいんだもん。

方向転換が許されないなんて、さすがにむずかしい。
まだまだ世の中を知らなくて、社会を知るには考えも未熟で、そんな学生の間に世の中を知って将来の方向性を決めて、脇目も振らずに進むだけの人生を歩める人ってどのくらいいるんだろうか。

だから、わたしはこういう風に決めた。

自分の人生に、100%の責任を持って生きる。

ここに背いた時には、わたしは良くない意味で逃げ出したんだって自分に言い聞かせることにした。

だから、みんながこうしているから、という理由では選ばない。
両親が反対するから、という理由で諦めない。
自分なんかにできっこないから、という言い訳は通用しない。

ちゃんとひとつずつ、自分の行動を考えて、選んで、向き合うことにした。

そう考えると、「やめる」「逃げる」というネガティブな意味を持たれがちなことも、人生のひとつのコマンドになった。

そして選択した先の人生においても、全部自分の責任で、自分次第で、ちゃんと自分が築いていくしかない。

「続ける」ということも現状維持ではなく、自分の意志で続けていること。
やめないこと=続けていることにはならないはず。
「やめる」ということも強制終了ではなく、自分の意志でやめる、立ち止まるということ。

それ自体には悪い意味も、実はないはずなんだ。

なにかをやめてもやめなくても、どこかから逃げても逃げなくても人生は続く。
それなら少しでも前向きに選択したい。
こころのときめきは、嘘をつかない。

ひとつひとつ、ちゃんと自分で選んで決めていく。


わたしは、自分の人生から逃げないって決めた。



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