なんの役に立つのかわからなかったできごとが、人生のエモさを紡いていく


学生時代、なんのために勉強するんだろうって思っていた。

小学生くらいならまだわかるんだけれど、中学、高校と勉強の難易度が難しくなるほどに、いま勉強していることって社会人になってから何の役に立つんだろうなぁ…なんて、きっと誰もが思うことを毎日思っていた。

その結果、勉強せずにテストを受けたら本当に困るのかを検証してみたり、挙句の果て不登校になった。

いま考えてみると、そんな抵抗すら無駄なことだったようにも思う。
抵抗したところでテストはなくならないし、赤点を取れば実際に困るわけで、学校だって卒業するまで続いてしまう。
学校に行かなくなっても何の解決にもならなかったんだけれど、いろんなことが無駄に思えて心底うんざりしていたんだと思う。


いまもそんなに変わらないけれど、学生時代からちょっと冷めたところがあった。

なんのためにしているんだろう…と思うとその疑問は止まらなかった。
学校行事や授業、時間割に制服。
なにもかもがなんのために存在しているんだろうなぁなんて考えては、たびたび先生を困らせていた。

高校生のころ、2年生までは「白ソックス」が校則で決められていた。
そのため、「紺ソックス」や「タイツ」などはNGだった。
それが3年生になってから、急に体操着が変わって、制服に関する校則も変わった。「白ソックス」を履くならくるぶし丈、それ以外は「紺・黒ソックス」になり、冬季は黒タイツが認められた。

そんな靴下の色なんて何色でもいいでしょう。
そんなことを心の中で思って、3年間白のルーズソックスを履いていたんだけれど、校則違反だと怒られるたびになんのための校則なんだろうなぁなんて思っていた。

「あってもなくても、どっちでもいいようなものって、そんなの無駄だよ」って心の中で何度も唱えていた。


だけれど、大人と呼ばれる年齢になってからは、自分で決断することが増えて、結果的にまわりから「なんのため?」と聞かれることが増えた。

自分の中で納得して決めたことでも、まわりにとっては意味不明な行動だったり、理解ができないことも多かったみたいで、「そんなの意味なくない?」とか「無駄だよ」って言われることもあった。

ワーキングホリデーもお金を浪費するだけで、英語だってそんな簡単に身につくわけじゃないし、時間とお金を浪費する意味ってあるの?なんて、たくさん言われた。

実際、わたしがオーストラリアへのワーキングホリデーをしなかったとしても、人生は続いていくし、その経験がなくても生きていける。
だけれど、そんな無駄だと言われた経験があってこそ、いまの自分がいて、人生を明らかに豊かにしてくれた。


きっと学生生活において無駄に思えたことだって、学生時代を彩ってくれていたんだと思う。

うまく言葉にできないけれど、学生時代独特の思い出の甘さみたいなものがある。
同じ制服を着て集団で生活することや、日常的に実力を確認するテストがあって、失敗したり反抗することも含めて、結局決まった年数しか通うことができない、あの環境。

何のためにしているんだろうなぁなんて葛藤していたことさえも、きっと無駄だったのかもしれないけれど、それがむしろ人生を豊かにしてくれている気がする。

無駄なことがなかったとしたら、きっともっと単調な毎日で、なにも覚えていなかったんだろうなぁ。


人生っていう塗り絵があったとしたら、魅力的に仕上げるために使う色の名前はきっと「無駄な日常」色とか「何のためにあるか分からない校則」色とかかもしれない。

少なくとも「バラ色の人生」色みたいなものは使わないし、それよりも「徹夜明けに見た朝日」色とかの方がしっくりきてしまう。


結局、当時習ったことを日常において使うこともないし、必死に勉強したテストも勉強しなかったテストも今になればどれも思い出の一粒でしかない。

無駄なことって、なにもない。
その時に無駄だと思ったとしても、無駄だと思ったり反抗したり、新しい行動に踏み切るためにも、その無駄なことは排除すべきじゃないんだよね。きっと。

いまみたいに、回り道を楽しむこころがあったらもっと学生時代楽しかったのかもしれないけれど、学生時代が楽しくなかったからこそ今を楽しもうとしているのかもしれない。

勉強をすることに関しては、大人になってみて初めて分かることもあったから、つべこべ言わずに勉強しておけばよかったなぁなんて思う時もあるんだけど、その話はまた明日。



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