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幸せにだって痛みはあることを知っているから

友人から結婚するという報告を受けたり、はたまた違う友人の伴侶と3人で会ったり、そのまた違う友人からは別れたという泣き声を聞いたり、先週はいろいろなお話をきいた。

私の心もたくさん動いた週だったように感じる。

*****

みんなで飲んでいる時、彼と私を見ながら幼馴染が
「私も、2人みたいになれたらいいのに」と
少しとろんとした目で言った。

私が「どんな風に見えているの」と聞いたら
幼馴染は
「2人とも、我慢したり頑張ったり、していない感じ」
とふにゃふにゃした顔で言った。

「2人を見ていると、いいなあ素敵だなあって常々思うと同時に、自分もこんな風になれたらって、どんどん理想が高くなっちゃう」と途端に寂しい顔をした。もう何度もこの顔を見てきて、見るたびに抱きしめたい気持ちに駆られた。

「2人には、ずっと幸せでいてほしい、ほんとうに。」と目を赤く滲ませる彼女を彼がどう思ったのかはわからないけれど、私が彼女を見る目と同じ目をしていて、

あなたも彼女を、ちゃんと見ていてくれるんだね。
と大きい安心感を感じた。

彼女はとても素直で、まっすぐで、けれど大きすぎるものをひとりで抱えてきた分複雑で、私はそんな彼女の複雑さを、隣にいる人にはきちんと見ていてほしいと思う。

彼女はいつも人のことばかりで、自分のことは常に後回しだった。小さい頃からずっとそうだった。

*****

2歳になる前からずっと一緒にいる彼女は、物心ついた頃にはごく自然に私の隣にいた。小学校、中学校、高校と私たちはずっとクラスも同じにならず離れていた。けれど、運動会や文化祭などの行事では必ず一緒にごはんを食べていたし、夏休みは待ち合わせしては日が暮れるまで遊んだ。

共通の友人もたくさん居たけれど、2人になったときには2人にしかわからない空気感があったと思う。私は彼女といると、言葉を選ばなくて済むことが嬉しかった。ただ天井を見て寝転がっているだけでも、隣に彼女がいれば、私の心は幸せで穏やかだった。

中学校の頃に通っていた塾は、親には申し訳ないけれど、勉強することが目的ではなかった。別に行かなくたってよかったけれど、ほとんどの幼馴染が同じ場所へ通っていたから、「私もいきたい」とわがままを言って行った。

学校へ行くことをやめてからも、塾には行っていた。
塾の扉を開けると、だいすきな人たちが賑やかに勉強していた。
私たちが通っていたのは進学塾のような名の知れたような塾ではなく、
教師を引退した夫婦が営む、アットホーム(すぎる)塾だった。

私が私服で行くと「学校もこいよ」だとか「今日くるのおそいよ〜!」だとか言いながら笑う学校の制服やジャージを着ているみんなが居て、「別に家に居場所がなくてもいいや」とほんとうに、心の底から思えた。

塾の先生たちは私たちを見て「仲が良いのは良いけれど、勉強しないと何のために塾に行ってるのとご両親に言われてここにこれなくなるわよ」と、何度も言っていた。

それは嫌だなと多分みんなが思っていて、だから、みんな必死に勉強していた。私は学校へいかない時間、家でひとりで勉強をしたり、ネットのお友達に教えてもらったりしていたから(理由にならないが)、

塾では彼女のおばあちゃんがつくったはちみつレモンをつまみながら、本を読んだり漫画を読んだり好きなことをしていた。

それをしないときは、ほとんど彼女とお話していたと思う。

彼女は「(私)は頭が良いから先生も怒らないけど、(私)は勉強できないから怒られるんだよ」と言っていたので

「違うよ。(彼女)は、できるのにやらないだけでしょ。だから怒られるの」と言ったら、チャームポイントの八重歯を出してかわいく笑っていた。

先生に「そんなお話している余裕があるなら、(幼馴染の名前)に勉強を教えてあげてちょうだい」と言われ、「えーめんどくさい。私生徒ですよ」と言うと奥の方から「生徒なら勉強してくださーい」という別の幼馴染の声が聞こえて「悔しかったら私より良い点とってくださーい」と返すと、「腹立つなあいつ!な!」とまた教室が賑やかになって先生はやれやれという顔をしながら笑ってた。

たまに幼馴染に勉強を教えたり、私も問題集を開いたりもした。

それでも欠かさず彼女のおばあちゃんのはちみつレモンは食べていた。
あの味が、だいすきだった。

「おいしいですよ」と先生の口に差し出すと
「あらほんと」とびっくりしていて楽しかった。
自分の祖母ではないくせに「でしょ」と私が誇らしげに言うと
彼女も先生も笑って頷いてくれた。

学校へ行った日は2人で彼女の家に帰り、彼女のおばあちゃんが作るごはんを食べて塾へ向かった。私は彼女のおばあちゃんが昔も今もほんとうにだいすきだ。

自分の家族よりも、当時は一緒にいた時間が長かったかもしれない。そのくらい、彼女のおばあちゃんは私にとって大きな存在だった。少し甘めの味付けが私の舌と相性がよく、彼女は「また砂糖入れすぎている」と言っていたけれど私は「それがおいしい」とたくさん食べていた。

この時期ほとんど、親友の家にいるか幼馴染の家にいるかしていたので、家でほとんどごはんを食べていない。

当時私の家の事情を、リアルタイムで詳しく知っているのは親友ただひとりだったけれど、幼馴染はずっと、私が学校に行くのをやめても何も聞かずに接し方を変えずにただそばに居てくれた。

彼女は勉強はしなくても、スポーツは何をやらせてもトップクラスだった。バスケ部に所属していたのに、陸上部や水泳部、に引っ張り出されていた。体育の授業や体育祭で彼女は男子よりも注目を集め、黄色い声を浴びていた。幼馴染の男は「俺らよりモテてるのはなんで」「俺らも同じくらい活躍してるだろーが!」とちょっと悔しそうだった。

彼女は運動神経が抜群に良すぎるのに、決してそれをひけらかすことはなく、体育の授業では運動が苦手な子が楽しめるよう、必ず心地の良いパス回しや雰囲気作りをした。

それが余計に、みんなの心を掴んだのだと思う。誰がどう見ても、彼女はキラキラしていた。

幼馴染の私から見ても誇らしかった。すごいな、かっこいいな、かわいいな、素敵だな、一緒に私も試合とか出たいな、そんな風に思うこともあった。

休憩や空き時間があると体育にはあまり参加しなかった(できなかった)私のもとへ汗を垂らしながら駆け寄る彼女は、私には眩しすぎた時期もあったけれど、彼女は変わらずボールを持って私の元へやってきた。

私は、そういう彼女のやさしさに何度救われてきたかわからない。
幼馴染がバスケの1on1をしているのを座って眺めている時間が、ほんとうに好きだった。

たまに学校へ行くと「おばあちゃんから」と私にガーナを渡してくれる笑顔だけで十分すぎたのにそのガーナの真っ赤な箱には、“元気出して” と大胆な文字で書かれていて、学校のトイレでひとりで箱がよれよれになるまで泣いたこともある。

もうどうにでもなればいい、死んでしまいたいと願う自分と、どうしてこんなに素敵な人が周りにいるのに死にたいなんて思ってしまうんだろうと思う自分が交差して苦しかった。彼女のやさしさが痛いくらいに私の全身を包んだ。

そのときは私も幼かったから、友人からの想いだけでは、生きるという希望を見出せなかった。

当時はみんなが与えてくれる希望以上に分厚い絶望が自分を殺し続けていて、けれど今なら、そんななかでも光がある方へ歩みを進められたのは、みんなが居たからだ痛いほどわかる。


彼女はつねにかっこよかった。髪はずっと短髪で、それが余計に爽やかさを際立たせていたのかもしれない。多分彼女は知らないけれど、私は彼女に恋をした女の子も知っている。

けれど、それ以上に、私は彼女のことをよく知っていた。
彼女は女の子としての自信や自分の価値を、自分から遠ざけて、次第に見失っていった。

彼女は常に輝いていてかっこよかったけれど、
それよりも繊細でかわいいところがあると私はよく知っていたから
彼女が「(私)は女の子らしくて、いいな」と言ったときに本気で「何言ってるの?」と思った。

でも、その目がとても寂しそうだったからすぐに理解した。

私から見た彼女は、何でもスポーツができて心底人にやさしくて、けれど繊細なところがあって照れた顔が誰よりもかわいくて、八重歯を見せてもらうときのくしゃっとした顔は女の子の私でも惚れ惚れしてしまうような、ほんとうに素敵な女の子だった。


でも、

彼女を好きになる男性は彼女を勘違いをする。
それは昔も大人になった今も変わらない。

「もっとサバサバした子かと思った」
「意外とめんどくさいんだな」
「細かいこと気にしない子かと思った」

彼女にそういうことをいう男性の話彼女から聞くたびに
私は何度もそいつらを心で殺した。

多少傷つけてもこの人はなんてことない
とでも思っているんだろうか。
そんな人間、どこにもいるわけがないのに。
彼女に限らず、傷つけられてほんとうに大丈夫な人なんて
いるわけがないのに。


目の前で泣く彼女の横で、何も、わからないくせに、と悔しくて悲しくて何度も唇を噛んだ。

彼女は私の知る限り私の周りにいる人のなかで、一番繊細な子だった。人にはそう見られないのは、彼女が誰よりも他人を気遣い機嫌を伺うような環境にいたことで、そう見せないことが自然と上手になってしまったからだった。

家族のなかでの自分の立場や友人の中での自分の立場において、彼女は自分を見せる隙など、与えられてこなかった。

印象、というのはとても怖い。


私の場合、第一印象では明るい性格だと見られることが多く、でもふたを開ければどこまでも根暗、という最悪なパターンでそれは自覚もしているけれど、私は恋愛関係においてそのギャップで悩んだことは幸い、なかった。

場所によっては「違うのに」「私はそんな人間じゃない」と葛藤して底抜けに明るい自分を演じるのは疲れたけれど、親友や幼馴染、恋人といる自分はほんとうの自分でいられて、それを受け入れてくれる場所があったから、平気でいられた。

私は自然と自分と同じような人に近づいていたのだと思うし、ただ明るい子、という印象だけで近寄ってきた人たちとはそれなりの関係をつないでいればいいやと割り切っていた。自分の話など、する必要はないから。

けれど、彼女の場合は、そういうギャップがもろに恋愛関係において足枷となった。私はどれだけでも彼女の隣にいてあげられるけれど、やっぱり恋愛と友情とでは、満たせるものがまったく違うのだと思う。

恋人といる幸福感が女友達といる充実感とはまったく異なるように、人は、ひとつのもので全部を満たせるほど器用にできていない。

「(私)がいてくれてよかった」と何度も彼女は口にしているけれど、どう考えてもそれは私から彼女へ向けて湧き上がる感情だった。

彼と彼女は、仲良くなるのが早くて、今となっては3人で飲むことも多いけれど、彼は、最初から彼女を「すごく、やさしい子だね」と言ったので、私は思わず「そうなんだよ、ほんとうにやさしい子なんだよ」と泣いてしまった。

彼女のそういうところが、説明はなくともきちんと間違わず自分の好きな人に伝わったことがほんとうに嬉しくて、しばらく泣いていた。

私が彼のことで悩んでいたときに彼女はこう言った。

「(彼)は誰から見てもとても良い人で、素敵な人だから、あんな人いないよとか言われたり、手放しちゃだめだとか言われるのは当然なんだけど、でもね、(私)は私で良いのかなとか、もらってばっかりだなとか考えちゃうのは違うよ。(私)が(彼)と同じように素敵な人だからそういう人と一緒にいられるんだよ、(彼)は、(私)だから好きになったんでしょ。」

「ごめん、私語彙力なさすぎて上手に伝えられないけど、2人は、常に対等だよ、あんな素敵な人に好かれた自分!くらい思っておけばいい」

声を出して笑いながら泣いた。
彼女も「私も涙でてきたあ゛」と言い、2人で泣きながらしばらく笑っていた。

なんだこれ、と2人してツッコミをいれていた。

彼女は気持ちや感情を言葉で説明するのがとても苦手な人だから、ああ、頑張ってくれたんだなと思うあたたかさと、私と彼を同じように認めてくれていることがほんとうに嬉しかった。

そして同時に、彼女にそういう恋人ができたときには、きっとまったく同じことで彼女は悩み、そして私は今の彼女と同じことを思って言うんだろうな。と思った。

*****

私と彼女が2人で飲んでいて泥酔寸前の状態のところへ彼が合流したり迎えにくると必ず「楽しそうで何よりです」と言われ、私たちはそのたびに
「お父さんみたーーーーーーい!」とケラケラいつまでも笑って2人で腕を組んでいる。

私も彼女も2人でいると、
互いにねじが緩んで、心までゆるりと解かれていく

言葉も分からなかった2歳だった私たちも、 もうじき26歳になるらしい。

「ずっとこうしてたいね」
「ずっとこうしてようよ」

と私たちはどれだけ歳を重ねても、お互いの隣に居続ける。片足を引き摺り込まれそうになってもその度に互いの手を引いて、できるだけ楽しい方へ、ワクワクする方へ、一緒に進んでいく。

そして

彼女の美しく繊細な心を、やさしく掬ってくれる誰かがいることを

彼女が信じられなくても、私はずっと、信じている。


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