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TORII in Iceland

これまで5か所に鳥居を設置し、撮影を終えた。
現在の結論として、この作品では神社の鳥居のような、聖域を隔てる門としての役割は発生しなかった。
その理由として
・神社としての成立要件(コミュニティ、地域に求められて建てられていないなど)がないこと
・自然の質が違う。例えば、滝をご神体として祀る神社はあるが、那智の滝のように日本のものと、アイスランドの滝とでは規模や性質が異なる。
大きく、この二つがある。

日本でご神体として祀られる自然が、巨石や大木、滝など象徴的なものなのに対して、アイスランドではその広大さや巨大さから(象徴性の薄い)風景になっていると思う。
また、間欠泉のような象徴的な場であっても、完全な観光地として役割を持ってしまっている場所に、その上から新たに意味を与えることができなかった。

しかし、これらは私の感覚によるところが大きい。
これから、日本でご神体として扱われている自然物と、アイスランドで自然物が神聖なものとしてどういう扱われ方をしたのか(またはしなかったのか)を、より深く調べ、他者も巻き込みながら、考えていきたい。

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