”一生懸命”に働くのをやめました。 #ジョブ型雇用で変わることは
「日経Comemo」のKey of Leadersの末席にいる”働き方お兄さん”こと横石です。気がつけば2ヶ月ぶりの投稿をお許しください。こんな文庫の解説文を書いたりしていました。
夏になっても収束の目処が立たないコロナとの共生時代。安全と経済の波を乗りこなしながら、これからどんな働き方が求められるのだろうのか。何を大切にして働いていけばいいのだろうか。ぼくは「一緒懸命」の時代になると思っている。一所懸命でもなければ、一生懸命でもない。離れていようとも、他者と共に働くことが、最大の武器であり、最高の喜びになる時代だ。
改めて、命を張って頑張るという「一生懸命」という言葉の語源が「一所懸命」であることは言うまでもない。中世において、武士や身分の高い者らが受け継いだ領地・土地を守るために命を張ったことから「一所懸命」と呼ばれていたが、近代になって一生という自分の人生時間を尽くし命を張ることを「一生懸命」と呼ぶように変化した。つまり、近代化によって「自分の命=土地(空間)」から「自分の命=時間」へと生命価値の大きな読み換えがなされたと言えるかもしれない。
そして、今やどうだろう。コロナ禍によって大きくインターネットの力が活用され、生産環境の場においても空間という概念は大きく変わり、時間の使われ方も大きく変わった。リモートワークが当たり前になる世界では、オフィスに一箇所で集まって働くことよりも、より分散して自律した働き方を目指すことが基本戦略となる。『強いチームは、オフィスを捨てる』(早川書房)なんて書籍も売れる昨今。そうなれば、人と人の関わり方も大きく変えていかなければならない。
実は、今までオフィスワーカーにとってコミュニケーションとコラボレーションというのは、ある意味で無自覚&無頓着でもよかったと言っていい。いつも同じ場所、決まった時間に出社して、オフィスにさえいれば自然と周囲と進捗共有や意思確認ができていたことだろう(たとえ些細なことでも雑談できたりしたように)。しかし、リモートワークが主体となりWFA(Work From Anywhere)になると、そうは問屋がおろさない。リモートで働くこと言うことは「自然と周囲と〜」というのはほとんどない。誰かと空間と時間を共有しなければ、セレンディピティが起きづらいことは在宅勤務した人なら誰もが経験したことだろう。
リモートワークを活用して働くというのは、24時間365日、コミュニケーションとコラボレーションの先にある対象者、つまり「誰」といるべきなのか、「誰」とコネクトしておかなければならないのかを常に意識しておかなければならない。誰が何を知っていて、何ができるのかが自分の頭に入っていないと何も化学反応が起こらなくなってしまうものだ。そう、他者を知らなければ、仕事が進まないのである。トランザクション・メモリーと呼ばれる組織知の概念があるが、まさに「Know-How(ノウハウ)」ではなく「Know-Who(ノウフー)」こそがリモートで働く組織においては超重要な生存戦略になる。
今後はメンバーシップ型経営や組織から、ジョブ型と呼ばれる形態へと変態することがスタンダードになる。でも勘違いしないでほしい。ジョブ型のメリットは時間や空間、組織におけるマネジメントの柔軟性にあるということだが、それはあくまでも手段の話だ。大切にするべきは、「時間・空間」起点ではなく、「人間」を起点にして組織を動かしていくことであり、従業員であれ、その家族であれ、外部パートナーであれ、その企業に関わるすべての人々が常に「誰(Who)」を感じながらその企業に関わることができるかということだ。
一緒懸命時代。空間や時間から離れて、ぼくらはいかに他者と共に生き抜いていけるのだろうか。それは分断の時代における、他者との連帯行為であり、自分以外のだれかのために生きる姿に他ならない。一緒懸命に生きる。それがこの時代の大原則だ。