自分に問いを向けてみよう(と言う名の所信表明)
はじめまして。横山佳菜子です。
3月12日に41歳になりました。
ざわつく日々だからこそ、今までも気になっていたnoteを初めてみようと思い立ち、誕生日を3日過ぎた中途半端な今日、書くことにしました。
少しだけ自己紹介
出身は関西で、大学まで奈良で過ごし、大阪の会社に就職しました。25歳に転職で上京し、以降ずっと東京で働いています。ずっと人や組織の成長にかかわる仕事をしてきました。振り返ると大学も「人間行動科学科人間関係行動学(つまり心理学)」専攻だったので、興味軸はあまり変わってないのかもなあと思ったりします。
共働きだからか、たまに「都心に住んでそう」と言われますが、どうしても子どもを「東京育ち」にするイメージが持てなくて、子どもが1歳の時、千葉の郊外に移り住み、もう10年くらい2階建てのその家で暮らしています。
1歳9か月差の男子ふたりを育てる日々が、「人は一人ひとり違う」と教科書的に言われるその言葉を、大きな声で叫べるくらいにさせました。それは、わたしの人生にとって大きな発見の一つです。(現在は二人とも小学生です)
38歳まで会社員をしていて、3年前に独立し、「人生の運転席に座る人を増やす」ことを目指すキャリアライブという会社をつくりました。正式メンバーは私一人で、会社というより基地のようなイメージを持っています。
組織で働く人のキャリアやリーダーシップ開発がサービスの中心です。
具体的には、ワークショップや研修という形で、組織で働く人が考えたり語り合ったりする場を作って、
・なぜここで働いているのか
・どんな世の中を創りたいのか
・私たちはどこを目指すのか
・このチームで作り出したい価値は
そんな問いを置く仕事です。
これらの問いはパワフルで、日常を忙しく生きる中でついつい下がりがちになる私たちの目線を引き上げてくれます。
同時に、問いはブーメランになって自分に返ってきます。良い問いを渡し続けるために、自分も問われ続けないといけないなあ、と感じる日々です。
いまおもうこと
いま、世の中は大きく揺れています。有事だ、乱世だ、という言葉が飛び交い、見通しの不安は日に日に大きくなります。
そうなると人間は、損をしない選択をしたい、誤った選択はしてはならないと思ってしまう生き物であることを身をもって感じます。
そのことが、思考を小さく、狭く、硬くさせる、とも。
「関係ないよな」ってみんなが頭では分かっているけど、「なくなったら困るから余分に買っておこう」と、結果的に買い占めに加担してしまうトイレットペーパーの品薄現象。
なんかあったら嫌だから、とむやみに自粛モードにのっかってしまうのもそうかもしれません。
一方で、この状況の中で、本当に困っている人たちに手を差し伸べ、希望をもたらしている人たちもいます。
何の準備もなくいきなりリモートワークに追いやられた人たちにオンラインサービスを開放したりナレッジを提供したり、
突然休校になった子どもたちにオンライン授業を無料で提供したり、給食がなくなって困っている家庭にお弁当を宅配するサービスを打ち出したり。
(我が家も、突然の休校にもかかわらず学童がすぐに開始してくれたことに本当に救われました…)
私が驚いたのはこうしたサービスが、「すぐに」打ち出されたことです。
リリース文からは、「自分たちが生き残るためにどうしたらよいか」と狭く硬く考えたのではなく、「自分たちにできることは何か」に真摯にそして柔軟に向き合っていることが伝わってきます。
心から尊敬するとともに、本当に何とかしようと目線を高く持ったときに、人の持つクリエイティビティは発揮されるのだなあと感じます。
noteで書きたいこと
残念なことに、しばらくは落ち着かない日々が続きそうです。さらにサバイバルが必要な事態になるかもしれません。
でも、だからこそ、小さく狭く硬く思考を閉じてしまうのではなく、創りたい未来に向かってのびのびと考え動き、そして誰かに貢献する一人でいたいと思います。
そのためにも、noteを書くことを通じて、自分自身に問いを贈り、考えを表すことを通じて、たくさんの人と意見を交わしていけたら、と思っています。
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