“新卒”と規定されることへの違和感
今回も働いている中で感じたモヤモヤについてのnoteです。
(どんだけ日々モヤモヤしてんねん、と自分でも感じております。。)
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さて、
新卒社会人として社会に出て、会社に所属したり、社会的責任の伴う中で、どこか社会的責任の中に自分を規定されている感覚がありました。
どこか自由度を奪われたかのような、
自分らしい行動が抑制されているような感覚。
きっと、これは社会人としては自然発生的なモヤモヤなんだろうなぁとは思います。
でも、同じような事を感じている人・これからこういうことを感じる人がいるかもしれないので、何かのきっかけになればよいなと思いつつアウトプットしていきます。
“本質を規定されない”・“自分は自分であると言える”ってすごく心理的にも安全よなぁと思います。その安全性のもと働けたら最高ですよね。
(以下に続く)
▶︎『新卒』というラベリング
就職してからずっと、『新卒』という言葉がすごく苦手でした。
それは事務所に新卒者が自分しかいないからか、自分が新卒としてはマイナーな訪問リハというフィールドに進んだからか。
理由はよく分かりませんが、とにかく色んなところで『新卒』と呼ばれるのが苦手でした。
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何か事があって、
それを上手く対処できなかった時には
『新卒だもんね、しょうがない!』と
周りの方々からは声をかけてもらえる。
しかし、それが上手く対処できた時には
『新卒なのに、よくできたね!』という言葉に変わる。
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多分きっと、どちらの言葉にも先輩方の優しさが含まれているんだろうと思う。
それを頭では理解していても、どことなく
“『新卒』というラベリングで扱われてる感”を強く意識させられていた。
目の前の自分ではなく、
どこかの『新卒理学療法士』として
みられているんじゃないかって気持ちが
強かったんです。
▶︎『会社の人間』というラベリング
『新卒』というラベルと同時に自分が息苦しさを(勝手に)覚えたのは、『会社の人間』というラベリング。
社会経験の少なさ故か、『会社の人間』としてみられることにどこか抵抗がありました。
『新卒』という言葉と同様に、
『会社の人間』ではなく、
一人の人間としてみてほしいという承認欲求がどこかにあったんだろうなぁと気づきました。
▶︎『私とは何か「個人」から「分人」へ』
そんな色々とモヤモヤしていた12月ごろに上記タイトルの本を買いました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4062881721/ref=cm_sw_r_cp_api_i_oCPiEb0YJCRAT
この本の中ではサブタイトルにもある「分人」について、
分人とは、対人関係ごとの様々な自分のことである。
と書かれています。
対人関係ごとの、ということはつまり、今まで生きてきた中で色んな人と関わり、その都度色んな分人が自分の中に形成されているということ。
こういう考え方だと確かに、
家族と話している時の自分と
会社の中での自分って
同じ自分ではあるけれど違うよなぁって思いました。
どれも本当の自分ではあるけれど、、
そして、例えばどれか一つの自分、
たった一部の自分を本質と規定されると
少しネガティブな気持ちになる。
今回の場合だと、『新卒理学療法士』や
『会社の人間』として規定された(と勝手に思い込んでいた)自分に対してネガティブな気持ちを抱いていたんだろうなぁ、ということに気づきました。
▶︎本質を規定されると、自分本位のアクションを見失う
『会社の人間』であると規定された(と勝手に思い込んでしまった)が為に、
「会社が自分をどう望んでいるのか?」について悩む時期が続きました。
自分としては、基本中の基本、一人の理学療法士として目の前の利用者さんが安心・安全に生活していけるよう、研鑽していかなきゃ…!と思っていた。
でも、それだけじゃダメなのか??
会社が望んでいる像って何だ??と
考えているうちに段々と、何がなんだかよく分からなくなってきました。
もはや、あるのかないのかも分からないギャップに悩む日々、、
そして振り返ると、ギャップに悩まされていた時期には、思うようなアクションができていませんでした。
▶︎前向きになる為には
上記の通り、色々と要らんことを考えに考え、悩んでおりました。
悩んでいると、
『新卒』『会社の人間』として扱わないでほしい。一人の人間としてみてほしい。
と思っているだけでは、どうも答えは出なさそうだと思えてきました。
そんな中、上に紹介した本には、
「足場となる分人」があると良さそうだ的なことも記されていました。
それをヒントにまた色々と考えたところ、
足場となる分人=自分が自分を好きになれる分人がしっかり自分にもありました。
「理学療法士 / 横田達之」
「Third Placeでのよこたつ」
の2つの分人。
ここで不思議だなぁと思ったことがあります。それは誰にも規定されない、
自分が思う“自分”を見つけられると
すごく安心するということ。
安心感を得られたからか、
『どうせアクション起こせてないなら、まずは安心できるところからアクションしていこ!』という思考になっていきました。
アクションって、やっぱり心理的に安心・安全であることが土台に無きゃ踏み出せないんだなとこの体験を通して再認識できた。
▶︎終わりに
そんなこんなで、なんだかんだ立ち直ることに成功しました。
色々悩んで、得られたものも少しあったかなぁと思ったので、今回はアウトプットしてみることにしました。
社会人だけでなく、学生でも実習期間とかはこんな精神状態に陥りやすいのかなと思います。
なので、そんな誰かのヒントになってくれたら良いなと思います m(_ _)m
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