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徳川家康の先祖 松平親氏とKing Gnu

私は二十年ほど前から「諸芸は相通ず」といってきた。武芸を修行しつつ、他の芸能にも関心をもち、相互の応用を試みてきた。
特に歌を歌うことは重要であり、歌うことで身体を整えたり、新しい感覚を得ることはよくあった。踊ることも、実は昔から大好きだった。

そんな中、久しぶりに目の覚めるような気づきというか、心身の開花があった。きっかけはKing Gnuの「飛行艇」を聴きながら身体を動かしたことだ。
これまでとは全然、感覚が違う。大袈裟にいうと、地球や大地と一体化したように、腹の底、足の底から躍動できた気がしたのだ。

私はだいたい毎日、全身をほぐしているが、武術の型や体操のような動きだけでは楽しみづらい。そこで音楽の力を借りることがある。
ただ、本当に自分の身体や動きと合う音楽はなかなか見つからない。歌であれば、もちろん歌詞も重要で、違和感なく作品世界に入れる楽曲は稀だった。

そういう意味でも「飛行艇」は絶妙であった。テンポも早過ぎず、歴史物語を書いているノリで、そのまま入っていける。ずしり、ずしりとした適度な重々しさもよい。
この音楽を聴きながら足を踏み、躍動すると、松平親氏(まつだいらちかうじ /徳川家康の先祖で松平氏の祖とされる遊芸僧)のことが思い浮かぶ。

以下、拙作『大樹の心』第一章より、松平親氏に関する部分を引用する──。

得川氏は落ち武者となった。松平親氏の父、得川有親は出家し逃亡、隠遁する。親氏も時宗の遊芸僧となり徳阿弥と称した。

敗戦の将が生き残るのはとても難しい。名を変え、山中などに潜む。そして、氏素性も分からぬ怪しい者と言われつつ耐えるのだ。足利将軍から乱の罪を問われ、追われる身だと発覚するよりは、無名のほうがまだましであった。

厚い信仰で心を清め、ひたすら己を磨いて、流れ者であっても人を魅了するほどの人物になる。そういう志で一から出直すしかなかった。

武士の名を捨てた徳阿弥は諸州を流れ、伊賀国に行きついたのではないか。家康は、伊賀の人々と深く関わるうちに、そう思うようになった。特に、忍びの頭目であった初代服部半蔵保長の話は、家康の目を開かせ、心をつかむものが多かった。保長は、松平家と徳川家に長く仕えた家康の家臣である。

伊賀は、昔から落ち武者の隠れ家として、知る人ぞ知る秘蔵の国だ。平家の多く住む国であり、京や奈良の都とも近く、貴人に好まれた地であった。伊賀は歌や能楽など芸事が盛んな国でもある。没落した貴人が何らかの芸を身につけ、再起を図るには絶好の土地柄なのだ。

服部半蔵も落ち武者の末裔である。平家長(いえなが)の子孫といわれ、「半蔵」という名は「平家の蔵人」を意味する。「半」は同じ字画で変化させた「平」の隠し文字。つまり「半蔵」とは、密かに自らが平氏であることを誇った名であった。

伊賀の服部一族は、能の役者を多く輩出してきた。能の大家、観阿弥も伊賀の生まれと言い伝えられている。
「観阿弥」というのは時宗の法名だ。松平親氏が遊芸僧であった頃の法名も「徳阿弥」。時宗の僧達は阿弥陀仏の信仰が深く、踊り念仏で歓喜踊躍(かんぎゆやく)する。

仏の光を感受した者は、僧であれ俗人であれ、悪心強欲が消え、心身が大らかに、柔らかくなる。良い心や幸せな気持ちが溢れ出し、自然と踊ったり、跳ねたりする。
日頃の枠や、とらわれの心を捨て、我を忘れるこの境地は至福だ。

観阿弥は、こうした時宗の世界から芸道の妙を得たとも考えられる。観阿弥は様々な舞いや音曲を取り入れて能を創造し、その子、世阿弥は「夢幻能」の大家として知られる。
能は現実とは違った夢や幻の世界を描くことが少なくない。踊り念仏も、この世にいながらにして、浄土の光を感受する行ないだ。

家康も能を好んでいた。武家の作法やしきたりも大事だが、それが厳しい武士こそ、時には舞い踊りたいのである。

──引用、以上。

現代では、ダンスというと軽やかなものをイメージしがちだ。しかし、その軽やかさは、ただ明るく楽しいだけのものとは限らない。人は常に何か重いものを背負っている。硬い考えにとらわれている。これを、音やリズムによって揺るがし、自らをその外へ、あるいは上へと解放する。

踊ることで、浮かれ過ぎてしまう人もいるだろう。それは芸能の神髄とは少し違う気がする。King Gnuの「飛行艇」は、「飛ぶ」ことをテーマにしているにもかかわらず、地に足がついた音楽だ。ただノリ良く浮かれ踊るのではなく、大地と響き合う。これが、昔の日本の芸能に近いと感じた。

私は、この曲を聴きながら独りで踊っていると、先祖の松平親氏(徳阿弥)になったような、不思議な気分になる。あてもなく旅をし、念仏を唱えながら踊躍し、大自然と一体化した徳阿弥。貧乏な遊芸僧で、明日をも知れぬ暮らしが続き、何もよいことがないように見えるが、なぜか訳もなく、喜びやパワーが湧いてくる。

これは、世の様々な価値観から根本的に解放されたような、とても新しい感覚だ。
人間というのは、ただ、このようなことがしたくて生きていたのかもしれない。それでいて、ただ、このようなことをすることが、とても難しい生き物でもある。

多くの人が「社会で活躍しろ、活躍しろ」と言われる。が、私たちは本当に躍動するすべを知っているのか。全身を、真に自由に使って躍動したことがあるのか。「活躍」しているつもりで、実は身を固め、肩コリや頭痛に悩まされながら、浅い呼吸で暮らしているのではないか。
何かを恐れ、人目を気にして、不自由な心で生きているのではないか。

King Gnuはそのことに気づかせてくれるミュージシャンだ。
作詞作曲を担う常田氏は天才だといわれる。しかし、彼は昭和や平成にもてはやされた「宇宙的な天才」ではなく、「地球の天才」だ。これが新しい。

新しいが、もちろん、長い歴史ともつながっており、King Gnuには思いやりがある。ただ自分の才能を顕示したり、音符をもてあそぶのではなく、「地球に生きる人々」への、思いやりと敬意が感じられるのだ。

敬意のない創作家は、一般大衆向けの娯楽と思うと、簡単な作品をつくってしまう。難解過ぎると理解されないだろう、などと考え、受け手をバカにしているのだ。しかし、今どきの人々は、ものもよく知っており、センスも抜群で、簡単なものでは感動などしない。

精一杯、自分の才や力を発揮しなければならないのだ。それでいて、相手が受け取りやすいように、あるいは、相手が求める目的やテーマに合ったものを、と考え、工夫する。これが、思いやりと敬意をもった創作であり、表現だと思う。

King Gnuの音楽は、様々なものが絶妙に共存した美しい風景のようである。常田氏には、大地のような安定感と知性と熱さがある。また、風のように、一つの世界観をその場に運んできて、皆の心を揺さぶる力もある。

井口氏は、常田氏の創造した大地の上を飛び回る鳥のようだ。鳥は美声を放ち、にぎやかさや愛嬌、面白みも発揮する。鳥といえば、見た目ではドラムの勢喜氏のほうが、鳥のようなカラフルさを表現しているが、彼の個性は、なぜか他のメンバーをよく助ける。時には鋭いリズムでチームをリードし、時には脇役として、おとなしく皆に馴染む。

ベースの新井氏は、豊かな才能に加えて、柔らかさとバランス感覚をもっている、という印象だ。個性派ぞろいのKing Gnuにおいて、一見、極ふつうであることが、観る者たちに安心感を与える。四人の奏でる音楽は、生き物が躍動する森か野原のようだ。

「飛行艇」で飛び回り、「ステップ」を踏むのもよいが、そればかりではない。テンションが下がった時には「白日」を聴いて思い切り泣くこともできる。負の側面を受け入れて癒される。そんな味わい方も「時には」できる。

徳阿弥こと松平親氏は、時宗の僧侶であったが、僧の仕事も人々の心を癒し、解放することであったと思う。ただ難しい仏教論や格式ばった教えを説くだけが、法師の役目ではない。
King Gnuも、いわば音楽のエリート達だが、その殻を打ち破って、自らを野へ放ったところが素晴らしい。

最近の若い人の中には、本当に頼もしい人達がいる。世の未来や日本の将来を悲観する人もいるが、私はかなり楽観している。
日々、仕事が大変でも、King Gnuのおかげで身体がほぐれ、訳もなく自由な気分になって、原稿を書き始めることができる。

King Gnuについては、「『白日』と人間の罪悪感」といったテーマで、また書きたいという気持ちもあるが、とりあえず今回は、ここでおいておこう。

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