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大斎原

昨日おじゃましました熊野本宮大社は、もともと川の中洲にありました。

以下、熊野本宮のホームページから引用。

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神が舞い降りたという大斎原。近年はパワースポットとして多くの人が訪れています。

熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。

江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。

ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。

かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。

大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見えます。その背後のこんもりとした森が大斎原です。熊野本宮大社から徒歩10分ほどなので、ぜひ訪れてみてください。

また、大斎原は桜の名所としても知られ、鮮やかな春の色に彩られた姿も見ものとなっています。

-----------引用おわり----

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この大鳥居をくぐると、杉の木立が並びます。

そこの空気感がなんとも清々しく、杉を見ながらゆっくりゆっくり歩くのが大好きです。

そこを抜けると、向こうに河原が見えてきます。

川のせせらぎしか聞こえないだいすきな場所。

そこの河原で目をつむると……

浮かんできた映像。

白装束の山伏みたいな格好をした男性が、呪文を唱えながら川につかり禊をしている。

歳は30ぐらいかなぁ?

あれは誰だろう??

家に帰ってからもずっと考えていた。

で、今朝気付いた。

あれ、私やったんやな。

ちなみに、山伏は吉野山地を中心に修行してたらしいので、熊野に行ったとしても不思議ではないな。

山伏について、もっと調べたくなった。

続編なにかあればまた書きます。

※最初の画像、河原で撮ったのがあったのですが、どうしても逆さまでしか上がらないので、熊野本宮大社の写真を上げました。


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