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人の機嫌を自分のせいだと思わない

人が、職場が機嫌悪いとき

なんとなく自分が悪いような気がしたり、しあわせとか楽しい気持ちで居るのがいけないような気がすることがあります。

相手の感情に共鳴しなくちゃいけない気がしてピリピリとしたものが心の中に生まれるんだけど、それは周りに向かなくて、いつのまにか自分を攻撃するものになっていたりします。

何をするにも不安になって、自分の軸を見失いそうになってしまいます。

私は理由がわからないイヤな空気がすごく苦手で、フラットで心地よい空気に、あわよくば楽しいあたたかい空気に囲まれていたいと思っています。

理由がわからないイヤな空気が苦手だから、つい理由を探してしまうんです。

そこで、少しでも自分が「私のここは人に迷惑かけてるかも」とか「私のここ好きじゃないなぁ」って思ってることがあるとその場の「イヤな空気」と結びつけてしまうのです。

そしてつい、私がまだ未熟だからだって思ってしまうのです。

落ち着いて書か出してみると、全く関連性のない出来事ですが、頭の中では一瞬の出来事なので冷静になる暇もなく受け入れていました。

人の不機嫌なんて受け取る必要ないのに。

不機嫌は相手をコントロールしようとするワガママの塊なのに。

不機嫌は人の心に罪悪感を生んで言うことを聞かせたかったり、自分の気持ちを言葉にしないで人にぶつけて処理しようとしてるワガママなコミュニケーションです。

それを自分がどうにかしてあげたり、受け取る必要なんてないなって改めて思います。

さらに冷静になるとそもそも人の気持ちをどうにかするなんて本人にしかできないのにどうにかしなくちゃって思うのも不思議な気持ちだったなって思えます。

知ーらない♫

くらいの軽い気持ちで居たらよくて、時には物理的に距離を置いてみるのがいいのかもしれません。

このことを考えながら改めて思ったのは、罪悪感を捨てることの大切さです。

相手の態度など他人の感情を読んで感じる罪悪感って感じなくていい気持ちなんだと思います。

そして、どこか自分を許せていないことがあったり、他人に遠慮して自分に許可できてないことがあるときに、周りの態度を気にしてしまい、罪悪感を生み出してしまうんだと思います。

これができないっていう苦手なことに対してかもしれないし、しあわせに楽しく過ごすことかもしれません。

でも、苦手なことも含めて自分だし、人生をどう過ごすかなんて人に許可を得ることではありません。

自分の人生に遠慮はいらない。

しあわせに楽しく過ごすことも愛されてあたたかい気持ちで過ごすことも、怒って毎日イライラしたり人の愛情や優しさを疑って過ごすことも全部が自分次第です。

「人がどう過ごしてるか」じゃなくて「自分がどう過ごしたいか」全ては自分の気持ち次第です。

しあわせはいつも自分からはじまると思うのです。

自分につらい思いをさせてしまった分、自分を責めすぎて立ち直れなくなる前にピリピリを受け取って、心がトゲトゲしてたなって気付けたところは褒めてあげようと思います。笑

小さなことでもこれがしあわせって思えることを選ぶことからまた柔らかな気持ちを作っていこうと思います。


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