その正義の以外は本当に悪なのか
自分の中の正義以外は悪なのでしょうか。
最近なんだかいろんなところで小さないがいがが増えているような気がしてみる情報やSNSをすごく選ぶようになりました。
いがいがの流れ弾はかすり傷みたいなものだけど積もると自分を壊すから。
もしかしたら私たちは、小さい頃から正義の味方と戦ってるのはいつも悪だから、見てるうちに自分の正義以外を悪だと思うようにできてるのかもしれません。
自分が正しいと思った行動をすること、正しいと思ったことを貫くのはステキなことだと思います。
でも、それを人に強要するのは別の問題で。
そういう時、大抵は心の奥に「ずるい」だったり「うらやましい」っていう気持ちが眠ってるのだと思います。
その気持ちがあるのは悪いことじゃなくて、それを「ずるい人」にぶつけるのが良くないのだと思うのです。
たぶん、「ずるい」って気持ちが湧いてきた時に戦うべきは自分。
「ずるい」って思ったことをやった方が自分を愛せるのか、やらない方が自分を愛せるのか、それを選ぶだけな気がするのです。
というか、自分の大切な価値観について話したり、それを受け入れてもらったり理解してもらったりするのって大切な人との間だけに成り立つ特別なことな気がします。
そして、「こう思います」って強い主張をする人が違う意見の人を必ずしも否定してるわけではなくて。
それに対して「否定された」って思っちゃうときは、心が疲れてるサインだから空をゆっくり眺めたり、お散歩に出るときにきれいなお花を探してみたりして自分の心を取り戻した方がいいんだと思います。
私も疲れてると少し違う意見や価値観を主張されると「否定されてるのかも」と悲しくなったりするので気をつけたいなと思います。
こんな世の中の状態じゃ、心が疲れちゃうのは当然で、いがいが玉が心に積もっていく人が悪いわけじゃない。
でも、いがいが玉は人に投げてもなくならないのです。無理矢理キャッチさせても気持ち良くはならないのです。
そんなに気を張らなくてもいいじゃんっていう緩さと、そんな考えもあるんだねっていう適度な距離感、そして自分の主張したい正義は自分の力で貫く強さ。
「どうありたいか」が改めて大切な時期だなぁと思うのです。
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