見出し画像

多様性のジレンマ。「正しさ」の不都合な真実

NPOで元テロリストの脱過激化、社会復帰支援に取り組む永井陽右さんの記事が朝日新聞に掲載されていた。

世界中で「多様性を受け入れよう」という声が広がっていることに対し、

私たちは「多様性を受け入れることは難しい」という心構えを持つべき。

と主張されていた。

そして、個人的にショッキングで、「なるほど!」と考えさせられたのが、プレジデントの記事。個人の意見が尊重され、ありのままで生きることを推進する、多様性肯定社会の「不都合な真実」がとても論理的に書かれており、「正しい」が反転してしまう世界のあり方を指摘している(特にリベラル社会・先鋒フィンランドの現状、そして近い未来予想図には考えさせられるものがある)。

昨今のLGBTQやフェミニズムの高まりも、この視点を見失うと、良かれと思って意見を主張していても、まったく予期していない望まぬ方向に大きく、舵をきってしまう危険性があるのかもしれない、と考えさせられた。

そして、冒頭の永井さん。

そもそも多様性とは、自分にとって都合の悪い人の存在も認めることだと思います。

多様性を認めるということは、「自分が生きやすくなること」とトレードオフで「自分が生きづらくなること」が起こりうること。そのどちらも同時に存在するという「当たり前」がなぜか欠落しているムードを最近は強く感じている。

思い返せば、webメディアを運営している時もそうだった。エンゲージメントを高めるための記事づくりをすると既存読者の居心地は高まる。一方、新規読者の流入が難しくなる。一方、その逆の記事づくりをすると読者の多様性は高まるが、既存読者の居心地が悪くなる。このバランスが難しいと常々感じていた。

これらのバランスに最適解はあるのだろうか。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?