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ムダかどうかは、自分で決める。

剃刀などのビューティツールを発売する貝印の新しい広告のコピーだ。キャンペーンモデルは、バーチャルヒューマン。電車内の「ムダ毛は絶対悪」と言わんばかりの脱毛推進広告を見つめる度に、「ここまで圧をかけてこなくても」とずっと思ってきたので、「遂にきた!」と純粋に思った広告である。

そして、貝印が同時に発表した「ムダ毛に対するアンケート」を眺めると、まだまだこのメッセージは前衛的すぎるかもしれない、と思ってしまったりもする。けれど、メッセージを発信することはとても大切なことだ。

いくつもの興味深い結果が見られるが、一番注目したのは、以下の男女の意識の差だろうか。結果もさることながら、質問自体、男性は処理しないことが前提で、女性は処理することが前提になっていることが現状をよく示していると思う。分かりやすく、男女の「ムダ毛」に対するスタートラインは真逆なのだ。

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ムダ毛を処理するとか、しないとか。メイクをするとか、しないとか。「しない選択」するこで、女性が不利益を被るケースはいくらでも考えうる。これは本人の心意気とはまた違うところで大きく社会に働く、抗えない力学である。だからこそ、「しない選択」はそれを跳ね返すだけの強靭な精神が必要とされてしまう。

大好きな作家のひとり、はらだ有彩さんの新著を読んだ。

裸では家の外に出られない。暑さや寒さをしのぎ、日差しを避け、身体を保護 するためにも手放せない。知らない間に決められたレギュレーションに違和感を感じても関係を断つこともできない「装い」。誰も装うことから逃れられない。にもかかわらず、装いはしばしば、とてつもなく気軽に批判される。(中略)この本はファッションの本ではない。街を歩く彼女たちが未来永劫、その人生を終える日 まで、益体のないジャッジに直面しませんようにと勝手に祈るための本である。祈りながら、「ああ、やっぱり、好きなように装うのはいいな」と噛み締めるための本である。 (まえがきより)

ムダ毛処理に代表される、これまで女性は「するのが当たり前」とされてきた身嗜み、そして日々の装いには、必ずルッキズム(見た目に基づく評価による差別と偏見)の問題が横たわっている。

けれど、ヒール靴から女性は解放されるべきという #Kutoo のムーブメント同様、ムダ毛に関してもキッカケ次第で価値観はひっくり返るし、そして、私たちはもっと自由に、ラクになりうる。貝印のキャンペーンがその大いなるキッカケとなりますように!

はらださんの言葉を借りるなら、

街を歩く彼女たちが未来永劫、その人生を終える日まで、益体のないジャッジに直面しませんように。

これに尽きる。

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写真もお人柄も大好きな在本彌生さん撮影の貝印の企業案内書も素晴らしい。






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