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日本の「お受験」はどこに向かうのか?

「私は小学生の頃から、電通の人と結婚すると決めていた」と言って本当に電通の方と結婚した知人がいた。これを聞いた時、この知人の聖子ちゃんばりの幸せ握力にではなく、「東京の人は電通という会社を小学生の頃から知っているものなのか」と驚いた。私は、東京の大学に進学し、しばらくしてから、広告代理店という仕事があることを知った。これはマッキンゼーとか、ゴールドマンサックスというような外資系企業も同様。とにかく地方にいると、知り得る企業や職業の幅が狭い。

スポーツ番組などをボーッと見ていると、今活躍している若い選手たちの親は必ず同じ競技、あるいはスポーツを真剣にしていた経験があることが多い。あるいは、ズバリその競技の指導者であることも。幼き頃から選手たちに英才教育を施している場合が多いことに気がつく。

仕事での取材などを通し、想像を超える富裕層の方々に会ってきた。その家庭に生まれた子供たちは、もはや受験戦争とは縁遠い世界に生きていた。もちろん、私には計り知れない苦労もあるのだろうが、とにもかくにも恵まれすぎて無敵感しかない自信に満ちた世界を垣間見、私はこの世界の圧倒的不公平さにおののいた。

教育費は家庭の経済状況に大きく左右される。日本の子供の7人に1人は相対的貧困に陥っているというデータが出ており、今後はもっとこの比率は多くなると言われている。全国学力テストの結果を分析したところ、世帯収入が多い生徒と少ない生徒は、正答率に約20%の開きがあることも分かっている。

経済格差も広がる一方の日本。それと同様に、日本のどこで生まれるかや家庭環境で、子供たちの人生は大きく左右される。

国際学力比較調査(PISA)ナンバー1はフィンランド。「自ら学ぶ子どもを支援する」を目的とし、「知識を獲得する方法」を学ばせている。子供たちの個性に合わせ、それぞれ到達点の異なることを前提に、それぞれが不利な扱いを受けないことが「格差のない平等な教育」であると定義されているのだそう。

一方、日本の「格差のない平等な教育」の捉え方は仮に言葉は同じだったとしても、その概念は「画一化」「均一化」「同質化」に向かう。

この数週間は、私のまわりが母親たちが、いわゆる小学校や中学校の「お受験」の会話をしているのをよく耳にした。私は子供もいないし、自分自身も学習塾などに行った経験もない(私の学生時代の地方はそれが主流だった)。彼女たちにむかって、「お受験なんてしなくても、どうにかなるんじゃない?」などという無責任な言葉を発することはできない。

私にもし自分に子供がいたら、どんなふうに接していたのかを最近よく考える。

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