電話があった 道に倒れたあの子から 大丈夫?何があったの 声をかけたくても 手に触れたくても ここにはいない 1人ぼっちで泣いてるなら こっちにおいでよ 聞こえているの? 聞いているの? こっちにおいでよ 大丈夫?何かあったら いつでも電話ちょうだいね 抱きしめるから
早く起きたい 返事が来てるかもしれないから 早く夜になって欲しい メールが届くかもしれないから 早く翌日になって欲しい 連絡がくるかもしれないから 早く来月になって欲しい あなたが来るかもしれないから 早く夏になって欲しい どこかで会えるかもしれない あなたがいるから生きられる
予定が詰まりすぎて「会いたい」と言われてもそんな時間が取れないような毎日です。って、どこにも書いてないのに、誘いの連絡がないのはおかしい。いつでも連絡くれてよいのだよ、と書きたいけど、やっぱり今はやめとく
『黄色い家』の最終章を読み終えた。クライマックスを読むのが怖くて、最後の3章分を読み飛ばした。小説でなくても、こういうことはありうる。その人の物語全てを知ることはできなくて、断片をつなぎ合わせて理解するしかないような事。時間が経ったら読んでみようとは思っている。
淡々と自分の仕事をする
雨の日はさんぽに出られない。 代わりに香りのよい紅茶を一杯。 目を閉じ、水滴が屋根を打つ音を聞こう。 何かのリズムを見つける。 どこかの小説に描かれたあの雨の音。 あれ、なんで思い出したのだろう。
大粒の涙が出る映画が観たい。 ぼたぼたと膝を濡らしたい。 誰よりもかわいそうな自分になりたい。 でもそれをすると戻ってこれないと思うから、 今は映画を観ない。 ごまかせるところまでごまかして、 口角あげて脳みそをだまくらかして 無理やりドーパミンを生成して 明日も生きる。
自分をさらけ出す文章が書けない 私のことを書くということは あの人のことを書くということ 私以外の誰かのことを書くことが許されるのだろうか 人との思い出や関係はいつ時効になるのか 死んだかもしれないあの人にも大切な人がいるだろうから いつになったら、許されるのか 頭の中だけが自由
夜の街に溶け込んだクロネコくん 今朝は誰のひざの元?
雨の日の朝は珈琲から始める。所帯じみたリビングで詩を読み、君を想う。あと数分で現実に戻る。束の間、ファンタジー。
数年ぶりの大衆浴場。 大きな鏡の前に座り、体を洗う。 目の前にいる女性は誰? 私だよね、もちろん、そうだよね。 数年ぶりに見る自分の裸体が あまりに新鮮でショックでもあった。 下腹部はまあるく、西洋画に出てきそうな よく言えば、ビーナスのそれのような ふくよかで何かを包み込むような優しさを放っている。 気づかないうちに私も中年になり、 こどもの頃に銭湯でみたあのおばちゃんたちの姿になっていた。 肩から二の腕にかけてたくましさと柔らかさを携え、 おおぶりのお椀のようなふた
心が弱いわけでも、心配事があるわけでもない と思うのに 人のポストや投稿に心がゆすぶられるのは なぜ
日曜日の朝といえば、父は幼い私を喫茶店につれて行った。私は珈琲の香りのする店内でゆで卵を食べるのが好きだった。朝の光が優しく注ぐ初夏のようなやわらかい時間。こんな霧がかった肌寒い朝にそんなことを思い出した。 会いたい人には会っておこう。会えるうちに何度でも。ポゴシッポソヨ
昨日「あなたみたいな人にはわからないと思う」と言われた。目に見えない境界線を引かれた。私はあっち側の人間になったのかな。人の痛みがわからない人たちだけが住む側に。
私のことを大好きなあの人の大切なあの人に会った カメレオンのように七変化する会話 結局、本当の姿は分からなかった あの人のことだからそういうあの人のことが好きで、だからきっとそういう私のことを好きなのだろう 私はあの人 あの人は私 本当の姿を見ることはない
あなたのことを知りたいわけじゃない あなたがわたしのことを知りたいかどうか それだけがわたしの知りたいこと