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兄から性被害を受けて引きこもりになった話

(※この記事には筆者が受けた被害が具体的に描かれております。
場合によってはフラッシュバックを引き起こす恐れがありますのでご注意ください。)

    

初めまして。よーこ(@Yokohikikomori)と申します。私は長年うつ病を患っており、ここ10年ほど断続的に引きこもっております。
昨年自殺を図った私は、激しい苦しみの中で、「このまま誰にも自分が受けた被害を知られぬまま死にたくはない」そう初めて思い、この記事を書く決意をしました。長くはなりますがお付き合い願えれば幸いです。

はじまり

私には専業主婦の母と工場勤務の父と年の離れた兄がいました。父はお金にだらしなく、ギャンブルで借金を作り、私が物心つく頃に母は返済のためパートにでるようになります。当時住んでいた家は平屋建ての賃貸の一軒家。お世辞にも衛生的とは言い難く、おまけにとにかく狭かったので、私たち一家はほんの小さな庭に面した居間で、家族四人川の字になって寝ていました。

6歳になったある日のこと、いつものように母と兄の間で眠っていた私は下半身に違和感を感じて目を覚ましました。兄が私の下着の中に手を入れて性器を触っていたのです。驚いてとっさに寝返りを打つと、母が目を覚まし行為は終わりました。

それが最初でした。

次の日、また下半身に違和感を感じて目を覚ました私は、天変地異を起こしたように頭がぐらぐらするのを感じました。

昨日と同じ手を使って逃げたら、母に怪しまれるかもしれない
ばれたら家族がばらばらになる

痛みと不快感に襲われながらもそう考えた私は、必死で眠っているふりをしました。

どれだけの時間が過ぎたのか分かりませんが、確かに覚えていることがあります。それは、居間のガラス戸から差し込む朝日の眩しさです。その光は私の空想の中で暗闇に燦然と輝く「赤い宝石」に変化し、その美しさに見とれているといつの間にか目覚ましが鳴って日常に戻れました。

それから何度同じことがあったか思い出すことはできません。その度に例の「赤い宝石」のイメージが現実を忘れさせてくれました。一度、薄目で兄の様子をうかがうと、彼は薄笑いを浮かべていました。長時間触られたことで性器は炎症をおこし、それが原因か膀胱炎(のような症状)になりました。拙いながら、親には「アソコにゴミが入った」と説明した覚えがあります。

放課後

両親は子供の教育に関心がなかったので、私は学童に行かせてもらえず、両親が仕事から帰ってくるまでの間は兄に預けられていました。ほぼ毎日のように兄とその友人に連れまわされ、校門の僅かな隙間を潜り抜け、人気のない学校に侵入させられたこともありました。兄はよく友人の前で私を嘲り、馬乗りになっては苦しむ私を見て喜んでいました。

そんなある日、めずらしく兄と家で留守番をすることになりました。この日の彼はいつもより穏やかで、顔色をうかがわずにすむとほっとしたのを覚えています。

二人でテレビを見ていると、彼がおもむろに「子供だけでいると鬼が出る」と言い出しました。(私の誕生日は節分の日なので、おそらくそれにかけたのでしょう)そして、怖がる私に「鬼が出ないようにおまじないをしよう」と言いました。「誰かに話せば呪われる」と脅かしながら、彼は私を居間に連れていき、布団の上で下着を脱いで性器を触らせ始めました。数分だったでしょうか、満足した彼は私の頭をなでながら、再度口外しないよう言い聞かせました。彼がめずらしく優しかったので、私はその時良い行いをしたのだと思いました。

認識

ある日、兄と共同の部屋で自分の勉強机のマットの下にふくらみがあるのを発見しました。中を確かめると、ポルノ雑誌がありました。「盗撮風にローアングルでスカートの中を撮影された女性の写真」が数ページにわたり掲載されていました。兄が置いたのかは知る由もありませんが、私は何となく「親に見つかってはならない」と考え、古紙回収に出すために束ねておいた雑誌群に無理やりねじ込んで隠しました。

当時の私はそこに映る女性たちの姿が何を表象しているのか分からず、ただ「大人の女性とはこういうものだ」と信じ、鏡の前で無邪気に「雑誌の女性」の真似事をして遊んでいました。

ことの終わり

9歳になった頃、私たち一家は引っ越しをしました。新居には自室が設けられ、私はうれしい反面、夜中に兄が向かいの部屋から侵入してくる可能性を恐れてもいました。そこで、私はあれこれ理由をつけては母の寝室で眠らせてもらうことにしました。それが功を奏したのか、兄からの性的虐待は終わりを見せましたが、その後精神的虐待はより一層強くなりました。

外面がよく成績優秀で運動部のキャプテンも務める兄
太っていて要領が悪く内向的な妹

言うまでもなく、周囲からよく比較されました。

兄は私がやってもいない悪事を母に言いつけ、彼女に私を叱らせることで私を孤立させました。抗議すればするほど、母にとって私は「扱いにくい子供」になっていきます。家庭を顧みない父によって、我が家で唯一の男性である兄は母にとってのヒーローであり、絶対的な存在でありました。

私は苛立ちから日常的に癇癪をおこし、血が出るまで爪を噛むようになりました。それと同じくして、自分が過去にされてきた行為が性的なものであり、またポルノ雑誌がどういう意味を持つのかを理解し始め、激しい自己嫌悪に襲われるようになっていきます。

学校生活

小学校も中学年になった頃、クラス替えに伴い生徒が自由に座る席を選べることになりました。のんびり友人を探している間にすっかり出遅れてしまった私は、仕方なく最後に余った席に慌てて座りました。この時、周囲が全員男子で占められていることには気が付きませんでした。

知り合いがいないことにやや戸惑っていると、前の席の男子がこちらに振り返り、私に向かって「女かよっ!うるさいんだよな!」と吐き捨てるように言いました。私がショックを受けて黙りこくっていると、それを聞いていた隣の席の前年同じクラスでもあった男子が助け船を出すかのように、「○○『筆者の名前』は女にしてはうるさくない方だから…」とその男子に進言し、私はこの席に座る“許可”を得ました。

彼らも兄と同じように、私に危害を加えるのでは?

そう考え始めると、兄と同性である男性全般が怖くなり、男性の前ではほとんど話せなくなってしまいました。今なら特定の状況下で話せなくなるのは場面緘黙の症状だと分かりますが、当時は一般的に認知されておらず、私は「頭のおかしな女」としてクラスの男子から執拗に嫌がらせを受けるようになります。

不登校

中学に入っても場面緘黙は治りませんでした。男子からは引き続き嫌がらせを受けていましたが、女子の友人のおかげでなんとか学生生活を送っていました。

しかし、部活のストレスから体調を崩したことをきっかけにIBS(過敏性腸症候群)になり、激しい腹痛に襲われるようになってしまいました。腹部の張りや食欲不振で体重は減少し倦怠感に悩まされ、学校を休みがちになりました。すると、男子生徒から「ズル休みをしている」と陰口を叩かれて嫌がらせが激しくなり、ますます学校に行きづらくなりました。

最後に学校に行った日のことを今でも覚えています。

あの日、私が教室に入ろうと廊下を歩いていると、それを待ち構えていた「一度も話したことのない男子」が輪ゴムで作ったパチンコを私にぶつけながら、「むかつくヤツにぶつける」と嘯いていました。今思えば何てことない嫌がらせでしたが、その時はもう限界でした。放課後、二度と行くことのなかった学校を小雨の中後にしながら、頭の中で何かがぷつりと切れるのを感じていました。

進学

父が変わることはなく、借金はかさむ一方で家計は火の車でした。両親には私立の高校には行かせられないと言われたので、必ず受かる偏差値の低い高校を受験しました。  「知り合いのいない環境でやり直せれば」と淡い期待を抱いていましたが、入学早々自分の考えの甘さを思い知りました。

進学先の高校は電車を二本乗り継いで、駅から徒歩二十分の距離にあり、体力が低下していた私にとっては通学自体が至難の業でした。また、進学してからもIBSは治らず、そのうち抑うつ状態になった私は電車に乗ることも困難になり、高校を中退しました。

その後

父は母にせっつかれ、初めて娘に関心を持つ素振りを見せましたが、長くは続きませんでした。母は腫れ物に触るように私に接するようになり、兄は「お前が妹で恥ずかしい」とことある毎に言いました。

食事をほとんど取らずに自室に閉じこもる日々を過ごし、そのうち眠れなくなった私は風邪薬を過剰摂取するようになり、親に頼んで初めて精神科に連れて行ってもらいました。丁度その頃、兄が私に置き手紙を残して実家を出ました。

今まで冷たくしてごめん!悩みがあったらいつでも相談に乗るから

あまりに空疎なその言葉に私はおもわず笑ってしまい、その後激しい怒りとともにその手紙を破り捨てました。彼はこれからの人生を何の報いも受けずに、「家族を思いやる善良な一市民」として生きていくことができるのです。私はその事実が羨ましくさえあります。

その後両親は離婚。現在は母と二人暮らしの引きこもりです。

あとがき

これまで読んでくださった方に感謝を申し上げたいと思います。どうもありがとうございます。

私はこれまで、自分が受けた被害を大したことではないと思ってきました。被害を矮小化し、苦しんでいる自分を無視することでいつか忘れられると思いましたが、気がつけばボロボロでした。引きこもりになったのはすべて性被害のせいだと言うつもりはありません。ただ、現状がそうだというだけです。

最後になりますが、性被害を受け現在も苦しみの渦中にいる方に伝えたいことが一つだけあります。

生きていてくれてありがとうございます


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