キミがいた窓辺
キミが一番好きな場所だった、この部屋には、今日も明るい光が窓から入ってきているよ。
“好きだった”
なんて、過去形で云うのは、変だね。
今もキミは、ここが一番好きだろうから。
キミは、一日の内の大半を、この部屋で過ごしていたね。
窓際に小さなテーブルと椅子を置き、そこで手紙を書いたり、キミが得意な編み物をしていたり。
『温室のような温かさの、この場所が好きだなんて、まるで猫みたいだな』
ボクの言葉にキミは笑いながら、
『そうよ、だって私は猫だもの』
そう答えたね。
ボクも以前にこの部屋で、キミと一緒に居た時に、あまりの暑さに耐えられず、思わず部屋を移動した。
そんなボクを見たキミは、
『猫は、私だけのようね』
クスクス笑いながら、編み物をしていた。
✳️✴️
そんなキミも時々は、うたた寝していたのをボクは知っているんだよ。
キミには黙っていたけれど。
何故、黙っていたか、分かるかい?
そんなキミも、ボクは好きだから。
そんなキミも、とても可愛かったから。
ボクが云ってしまったら、キミはもう二度と、可愛いうたた寝をしなくなってしまうだろう?
キミは負けず嫌いなところがあるからね。
あの可愛い寝顔を、これからも見たいからね。
あぁ、植物たちに、後で水やりをしておこう。
やはりこの部屋は、猫ではないボクには暑過ぎるようだ。
汗をかいてしまった。
シャワーを浴びて、さっぱりとしてこよう。
✳️✴️
『あなた、今日の夕食なんだけど、何か食べたいものは、ある?』
『そうだなぁ、特別これといって思い浮かばないけど』
『もう!毎日献立を考えるのは、大変なのよ、主婦は。だから協力してちょうだい』
『そうは、云ってもなぁ。う〜ん……あっ、アレなんてどうかな』
『アレって何?』
『アレだよ、鶏肉のヤツ』
『もしかして、水炊きのこと?』
『それそれ、水炊き』
『鍋料理に助けを求めるのは、主婦が思うことだから、鍋料理以外でお願いします』
『せっかく考えたのに、仕方ない、ハンバーグは?チーズがトロリの』
『それいい!チーズハンバーグにします』
ボクらは材料を買いに2人で出かけた。
ボクの仕事が休みの日には、必ず買い物は、2人で行くことが、いつの間にか決まりごとになっていた。
ボクは出かけるのが好きだから、それが近所のスーパーであっても全然構わない。
荷物持ちも嫌じゃない。
町内には3軒のスーパーがある。
今日はどの店に入るのだろう。
その時、いい匂いがしてきた。
焼き鳥を焼いてる匂いだ。
その時、キミはボクを見て、
『帰りに買っていこうか、焼き鳥』そう云った。
思わずボクは、頷いていた。
『じゃあ、先に注文してこようっと』
キミはそう云うが早いか、焼き鳥屋の前に立ったいる。
そしてボクに手招きをする。
『アナタは何にする?皮は買うわよね』
『もちろん。後は……ナンコツと、ボンジリ』
『注文だけしたら、ちょっと買い物して来ます。30分くらいで来ますから』
いいですよ。何にしましょう。
『皮を4本、ナンコツ2本、ボンジリ4本、ネギマを2本。全部塩で』
12本、全部を塩で。会計が1310円になります。
キミはお金を払って、ボクらは買い物に向かった。
✳️✴️
1番奥のスーパーにボクらは入った。
カゴを手にしてキミはボクに、
『このお店のお肉が1番いいお肉なの。新鮮で。でも決して高くないし、今夜はハンバーグだからこのお店まで来ました』
丁寧にボクに説明をしてキミは嬉しそうな笑顔を見せた。
『え〜と、家に卵はある、パン粉もあるし、あっ玉ねぎを買わないとね』
口に出して、確認しながら、一つ一つカゴに入れていくのがキミの買い物の仕方だ。
そして全部、カゴに入れると、最後にまた確認するのだ。
『ひき肉、買った、牛乳、買った……よし!ではレジに並びます』
精算を終えたキミは、ボクと一緒にエコバッグに買った品物を入れて、外へ出た。
玉ねぎと牛乳が入ったバッグは少し重くなったが、これでもボクは重い荷物には慣れている。
若い頃に、引っ越し業者で働いていた事がある。
その時に、研修でかなり鍛えられた。
そうして焼き鳥屋に着いた。
キミは、小走りで、焼き鳥を受け取りに行った。
まいどありー
店主の威勢のいい声と共にキミは戻ってきた。
袋からは、香ばしい匂いがしている。
『まだ熱々だよ。早く帰って食べようね』
『歩きながらじゃダメ?』
思わずボクはそう云ってみた。
キミは、意外にも、
『歩きながら、それ、いいね。そうしようか』
キミは袋から焼き鳥を取り出してボクに渡した。
『サンキュ』そう云ってボクは焼き鳥を口に入れた。
『これはボンジリだ。やっぱり出来立ては、旨いな』
キミも焼き鳥を食べ始めた。
『ホントに美味しいね。スーパーでも売ってるけど、全然違う』
ボクらは、あっという間に平らげた。
残りは帰ってから食べることにして、家に向かって歩いた。
✳️✴️
温室から出たあと、シャワーを浴びて、いつの間にか、寝てしまったらしい。
どうせなら、キミの作ったチーズハンバーグを食べてから、目を覚ましたかったな。
そんなことを考えていた。
若かったな、キミもボクも。
いつの間にか、70を越えてしまった。
さて、出掛けるとしよう。
着替えを終えて、ボクは家を出た。
目的の場所に着くと、ボクを見た看護士が、
「あら、今日はいつもより少し遅かったですね」
と、声をかけてきた。
「あぁ。汗をかいてね、シャワーを浴びたら、いつの間にか寝てたらしい」
「そうでしたか。でもご主人は、お元気で何よりです。毎日通ってくるのが辛くなったら、無理はしないでくださいね」
ボクは頷いた。
そしてキミの部屋に入った。
今日のキミは、どんな反応を見せるのだろう。
✳️✴️
「こんにちは」ボクはキミに、挨拶をした。
ベットに横になっていたキミは、少し嬉しそうな顔を見せた。
ボクの願望かもしれないが。
キミはゆっくりと、起き上がると、
「こんにちは。今日も来てくださって」
最初の頃とはだいぶ違う反応をするようになった。
始めはボクを見て、キミは怯えていた。
「どちら様かは存じませんが、本当にありがとうございます」
そう、キミはボクが誰だか忘れてしまった。
だから、最初は怯えたのだ。
知らない男が突然現れたものだから、キミは怖かったのだろう。
「いえ、お礼には及びません。むかし……ボクは貴女にお世話になったことがあるのです。貴女が覚えてらっしゃらないほど、遠いむかしにです」
キミは不思議そうな顔をして、首を少し傾げる。
「そう……なのですか?」
「はい、お礼を云うならボクのほうです」
キミは恥ずかしそうな顔をして、はにかむ。
ボクはそんなキミを見て、また恋をする。
たぶん、これからも、ボクは何度もキミに恋をするだろう。
ずっとずっとキミに恋をしていくのだろう。
了
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