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もしもあの夜がなかったら


人生のステップはいつだって兄が先だった。

幼稚園も小学校も中学校も高校も大学も、兄が先に入学して卒業していった。

当たり前といえば当たり前だ、2歳上なのだから。 

小学校の頃は兄のおさがりを着ていたし(当時はボーイッシュだった)

ゲームも兄が買ったものを兄が飽きた頃にやっていた。


兄とは仲が良かった。

転勤族だった私たちには幼なじみというものがいなかったから、
小さい頃から知っている人がお互いしかいない、というのもあったのかもしれない。

小学校まではケンカばかりだったが、
中学校に上がってからは部活も同じバスケ部で、
あいつとあの子が付き合ってるらしいとかそんな話をしたり、
深夜まで一緒にNBAの試合をTVで見てアイバーソンのすごさを語り合ったり。

兄が修学旅行に行った時には、くまのプーさんのぬいぐるみを買ってきてくれた。
(周りにシスコンだとからかわれながら買ったらしい

それくらい、仲の良い兄妹だった。


兄は頭が良かった。

私もそこそこ成績は良かったが、いつも兄には勝てなかった。

親に比べられたり何かを言われたわけではないのに、勝手にどこかで劣等感を感じていた。

仲の良い一方で、兄に対するコンプレックスは思春期になればなるほど、じわじわと膨らんでいった。


私が唯一、兄よりも得意だったのは、音楽や美術だった。

だから私は夢中で絵を描いたし、ギターも一生懸命練習して、高校に入るとバンドを組んで学祭でもステージに立った。

それでも、どこかで「兄には勝てない」という劣等感は拭えなかった。


私が高校1年の、冬の日だったと思う。

親が寝た後、深夜のリビングで兄とダラダラ喋っている時のことだった。

何がきっかけだったのか、そういう劣等感や小さな嫉妬が積もった仄暗い感情が口をついて出た。

「いつも兄に勝てない」


喋りだすと次から次へと黒い言葉が身体中に満ちて、ポロポロとこぼれ出した。

「勉強も勝てないし、周りからは"◯◯君の妹さん"て言われるし」
「兄に対する劣等感がずっとあった」
「何かひとつで良いから誰にも負けないものが欲しかった」
「自分なんかいなきゃ良かったんじゃないかと思うこともある」


本人に向かってこんなことを言ったって困らせるだけだと分かりながら止められなかった。
私は小学生以来に、兄の前で泣いた。自分でもヒくぐらい泣いた。

妹が突然泣き出して、お調子者の兄はさぞかしオロオロしているだろう、もしくは茶化して逃げようとするだろうと思ったが、ティッシュ箱を目の前に寄越しながら、とても真面目に相槌を打ちながら聞いてくれた。

余計な言葉を挟むでもなく、泣くなとも言わず。

ただただ、私の言葉を聞いていた。

それが意外で、嬉しいとも悲しいとも言えない、暖かいとも冷たいとも違う、なんとも言えない感情になって、私はまた泣き続けた。

やっと泣き止んだ頃、兄は至って冷静に喋り出した。

「俺にだってあいつには勝てないと思う奴がいる。お前にだって、音楽や芸術系では勝てない。そんな風に思う必要はない」

ぼんやりとしか覚えていないが、とにかく優しい言葉をかけてくれたのを覚えている。

その時からだと思う、「もう兄には勝てなくてもいいや」と思いはじめたのは。


兄に勝てていたもの、音楽と美術と、あとひとつ挙げるとするならば、自分で言うのはなんとも憚られるのだが、「モテる」という種目だった。

私もモテる方ではない。謙遜とかじゃなく全くもってモテる方ではない。

でも兄よりはモテていた自信はある。

兄はそんなに身長も高くないしイケメンでもないし最近は太ってきたし

学生時代もあまり女の影を感じたこともなかった。


だから、実家に帰った時に祖母が「どっちが先に結婚するだろうねぇ」と言った時も
「私じゃないかな」と答えたし、「まぁお前だろうな」と兄も言った。


そんな兄が、だ。

先日、なんと婚約した。

ある日突然LINEで知らされたので驚いた。

まさか、人生のステップで唯一先に進むであろうと思っていた結婚まで兄が先にするとは…

その後、律儀に京都まで2人で会いに来てくれて、一緒にごはんに行った。

相手は、小柄で可愛い、屈託のない、私よりも2歳下のとても良い子だった。


もしもあの夜がなかったら。


私はもしかしたら未だにコンプレックスを抱えて、兄から徐々に離れて、会うのは年末年始に実家に帰った時だけのような関係になっていたかもしれない。

兄の婚約を他人事として、心から祝福できていなかったかもしれない。


でも全て吐き切った私はもう、勝ち負けとかではないと分かっているし、コンプレックスもない。
仲の良さそうな2人を見ながら、「よかったね」と何度も何度も言った。

今思ってもほっこりするぐらい。めでたいなぁ。よかったね、兄。


今年挙げられるであろう結婚式で、きっと私は泣くと思う。自分でもヒくぐらい泣くと思う。


兄の前で泣くのは、あの夜以来のことになる。


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