「天職」なんて言えないけれど。
ラオスでこの記事を書いてから2年が経とうとしている。
「生まれてきてよかったのかもしれない。」
https://note.mu/yokohama/n/nb1dcf258fcef
ということは転職してもうすぐ2年が経つ。
時の流れは早い。
私は、前職でも前々職でも、webディレクターをメインでやっていた。
その間ずっと、「作り手になれなかったコンプレックス」を感じていた。
どれだけ良いサイトができても、提案が通っても、コンペで勝っても、それが無くなることはなかった。
なんで自分はデザイナーじゃないんだろう。
なんで学生時代にデザインの勉強をしなかったんだろう。
想いを形にするデザイナーさんを尊敬するとともに嫉妬していた。
でも、そんなコンプレックスが無くなっていることに、最近気付いた。
というのも、名刺の肩書きこそ「Web担当」だが、最近ほとんどwebを触っていない。
代わりに写真を撮ったり、文章を書いたり、フォトショやイラレを使って簡単なデザインを作ったり、instagramの中の人をやったりしている。
もちろんデザイナーさんには勝てないし、カメラマンにもなれないし、ライターを本業にしている人には敵わない。
でも、ディレクターとして培った視点で「伝える」ためにそれらの技術を使えるようになったことが、コンプレックスから解放してくれたように思う。
昔から、何かひとつを突き詰めるのではなく、広い方に広い方に生きてきた。
いつか何かになりたいと思った時に何にでもなれるように。
そんな何者にもなりきれない自分が嫌になった時期もあった。
でも今は、何者でもない自分が心地よい。
これはこれで正解だったのかもしれない、と思える。
何者でもないから、誰かの言葉を代弁できる。伝えたいことを自分というフィルターを通して適切なカタチにして伝えられる。
昔は伝えたいこと(というよりも訴えたいこと)がたくさんあった。でも今、自分自身が伝えたいことはほとんど無くなってしまった。
だから、せめて誰かの想いを代弁したい。より多くの人に響くように。
仕事を通してそれができるなら、これほど嬉しいことはない。
天職、なんて恥ずかしいしそんな確信はまだ得られないけれど。
そう思える日が来るんだろうか。
そんな風に思う今日この頃です。
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