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人生を考える系 気になる note のまとめ

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自分の生に対する原点 note と、他のクリエイターさんによる、人生、生死について、気になった note のストック。振り返られるように、再び辿れるように。
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記事一覧

【日本人に伝えたい!】世界の報道機関が人間の極限状況における驚嘆すべき行為と称賛し、元陸自幹部自衛官も感動した、32歳で殉職した海軍大尉の話

こんにちは。 元・国防男子/陸上自衛隊応援団/初級・中級幹部サポーターのMr.Kです。 幹部自衛官として13年間勤務し、主な経歴は🪂最精鋭部隊第1空挺団、🇺🇸米国陸軍留学、✏️陸自最高学府の指揮幕僚課程、🇺🇸在日米陸軍司令部、🇺🇳国連南スーダンミッション軍事司令部等で勤務して参りました。 現在は、民間企業の危機管理部門で海外セキュリティ担当として危険国の情勢分析、セキュリティ対策の立案など、陸自時代よりもよりリスクの高い仕事をしています。 *****************

いかんともしがたい

このタイミングなので それのことなんです 語るのも難しい それのこと 少しだけ触れます ある人は山に住み ある人は海に住み ある人は野に住む 大地は個性に溢れ 適した種族も数える度に増える 時代は共有に向かっている そんな感覚は確かにあったはず 月から見れば 国を分ける線など 地球には見えない ほぼ海で覆われ 大きな島が いくつか繋がっていて 小さな島が 点々と浮かぶ 異邦人のなすべきこと提供なんだと思う 搾取や略奪は上下をつくる 文明の発展を導き 民度

生きる意味って

なんのために生きてるんだろうって 何度も何度も考えた。 乗り越えても乗り越えても、 あまりに苦しいことばかり続くから、 “苦しむために生きてるの?” って、それしか答えが見つからなくて 泣いた日もある。 でも、違う。  今の段階で見つけた私の答え、 それは、 愛するために、生きている。 うまくいかないことだらけでも、 うまく表現できなくても、 伝わらなくても。 それは、なにかがうまくできることじゃない。 大きなことを成し遂げることでもない。 ただ、

内田樹さんのお話。高校生に向かってのお話ということで分かりやすく、これは私ら現役大人世代も意識せないかんよなーと。 ここにURLを貼っておきます。 「ポストコロナの時代を生きる君たちへ」 http://blog.tatsuru.com/2022/01/12_1641.html

会いたかった。

「龍二が... 自殺した」 親友とは小学生のときから仲が良く、 付き合いも長い。 だから、彼女の声のトーンでわかる。 今から悪いことを伝えようとしているのだと。 しかし、 一瞬たりとも想像していなかった言葉が飛び出した。彼女の弟が死んだというのだ。 龍二は今年の9月に24才になったばかり。 わたしより7つも年下なので、わたしにとっても可愛い弟という感じだった。 コロナで、親友とも龍二とも2年間会っていない。 親友はその間に双子を出産。 一方、龍二は 仕

燃えて消えたそのあとに

もう20年近く前の話だ。 実家が全焼した。原因は漏電だった。 当時、父と母は勤務中で留守だった。 妹はすでに結婚し、出産を数ヶ月後に控えていた。 誰もいないところで出火し全て燃えた。 火災が発生する前日、私達は実家から自宅に戻っていた。  賑やかな長女夫婦を無事に見送り、やれやれと 息をついた翌日だった。 私達は、20代の後半を走り始めた頃だった。 長男は保育園、次男はまだ1歳か2歳だった。 実家の前には一軒、幼なじみの家があり 両隣、後ろに学生アパートが

2001年8月.私は母になった。 【入院中の子どもたちに笑顔を届けるプロジェクト・チャリティーSNSキャンペーン】に寄せて。

こちらのキャンペーンでは、「”赤い鼻”を付けた写真」とハッシュタグ「#レッドノーズデー2021」を付けてTwitterもしくはInstagramに投稿するキャンペーンです。 (概要抜粋) 本年はSNSと連動し、 『RED NOSE DAY・チャリティSNSキャンペーン』を実施します。 キャンペーンでは、 赤い鼻を付けた写真、 または、 プロジェクト支援ブランドから販売されるチャリティアイテムの写真をInstagram及びTwitterにご投稿いただくと、 「#レッドノーズ

人として好きな気持ちに 男も女も関係ない

息子のお友達が、ご両親に言ってくれた言葉です。 お友達は、息子と保育園時代からの親友です。 あまりに仲良しなので、保育園の年中さんの時に 「結婚する?」「うん」 と言っていたそうです。 でも それを先生方は咎めずに見守って下さってました。 同性なので、結婚は無理じゃないのかなぁ〜と思う反面、 これからは そんな価値観ではなく、 人として信頼し合って、パートナーになる可能性もあるのかも知れないな、と 感じていました。 保育園時代というのは、ある意味、純粋無垢です。 素直に 

もうすぐ8月31日

小学生の時に1年~1年半おきに転校をしていた。 親の転勤が理由ではなく、親の身勝手な理由ばかりだった。 学校や地域に慣れる暇もなく、学校で友達ができる間もなく転校を繰り返していた。 小学校にあがる以前も引っ越しを繰り返していた。 中学生になる時も高校生になる時にも引っ越しをした。 小学生の夏休みの思い出で鮮明に覚えていることがある。 新しい学校で夏休み期間中に通わなければいけない学校のプールがとても苦手だった。 大人になってからゆっくり自分のペースで自由に泳ぐ水

私が『終活』を考えるようになった「人生の終わり方」と相続について☆☆

この3年の間に、実父、義父母と続けて見送った私は、この見送りの全てを体験して、『終活』の大切さを感じるようになりました。 今回は、実父と、義父母の「人生の終わり方」について、まとめようと思います。 最近、実父および義父母の「人生の終わるとき」をnoteに書きました↓↓↓ 二つの記事とも多くの方に読んでいただき、コメントを頂きました。 ありがとうございます。 今日は、「亡くなる前」また「亡くなった後」の家族の取り組みについて、特にそれぞれの「終活」の様子と相続について書

野辺送りの帰り道

喪主の息子さんが 「女房に12年間、自宅で介護をして頂きました。」 と話したところで泣いた。隣の主任も鼻を啜った。12年に想いを馳せた。 私達が、故人と過ごしたのは1年半だった。 頂くって使うんだな。と思って泣いた。 そこに普段は決して口にしなかったであろう、 償いと感謝が滲んだ。 視線の先の奥様は、まっすぐ前を見ていた。 その前後の施設へのお礼の挨拶より、妻に向けた感謝の一言に、奥様の何かが報われたような気がして、涙が出た。 もちろん、それは他人の感傷だ。 奥様自

お義母さんと呼ぶわけは

あの日、黙って家を出た。 握っていたのは、実家の両親からもらった封筒に入った1万円だった。 2階から、足音を立てずにそっと階段を下りて、静かに静かに玄関の外に出た。 台所の引き戸は締まっていて、中ではおかあさんと、お姉ちゃんが夕食の 支度をしていた。 あの台所から漏れる光をみると、あの台所から漏れ聞こえる声を聞くと、 息が苦しくなった。 いつも深呼吸して、あの引き戸を開けていたけど。 開けることを選ばなくてもいいんじゃないか。 もう、開けなくてもいいんじゃな

自分のことを「好き」と言える人生を

ぼくは勇気をだして、決断した。 6年勤めてきた会社を退職する。 所属にも報告して、いまはお世話になった方々に10分お時間をもらって電話で報告している。 勇気が必要だった。 ぼくが選ぶ道は転職ではない。 フリーランスだ。 コロナが世界を襲って、未曾有の不安の中で暮らす現代。僕にはチャンスに思えた。今、自分を変える時だ!この1年はあらゆることにチャレンジしてきた。やってこなかったことにたくさんトライした。周りから見たら滑稽だったかもしれない。それまでに、準備を怠ってきたか

【風になったあなたを】

今日は命日。 愛する者を看取った日です。 13年経ちました。早いものです。振り返ると、自分を取り巻く環境は、随分と変わりました。心境だって移ろいでいく。 けれども、思い出す光景は色褪せない。 今も目に耳にハッキリと蘇るのです。  ⭐ ⭐ ⭐ あの朝、食事を終えると、眠気が襲ってきました。どうしたのか。睡眠不足の日々は続いていました。それにしても異様な眠気。 『オレ、ちょっと寝るよ』 「いいわ。寝てて」 ふと目覚めます。ベッドの上でミドリ。呼吸が浅い。これはいかん。

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