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自分の選択 展開された状況 再就職~結婚

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自分史②の後編です。これ以前の物語は電子書籍化しています。書き出すことで、自分がどう考え、何を望み、選んできたのか。時代背景を交えて振り返りました。
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新しい職場での仕事環境

こんにちは(^^ 今日は、転職先の職場のことを中心に、思い出しながら綴ります。1996年6月~の内容です。 パソコン通信で知り合っていた、土地家屋調査士の先生に呼んでいただき、再び都市(札幌)へ戻ります。 面接に伺うと... 「○○土地家屋調査士事務所」と「○○技研(株)」という、ダブル看板を掲げた、10名規模の小さな事務所でした。1階には、自然食品店の入った建物の2階です。 面接は、ご挨拶程度で済みました。「今、土地家屋調査士の連盟で、不動産 土地登記簿(公図)の

引っ越しと、プロポーズ

こんにちは(^^ 今日は、再就職したころ(1996年夏~)の、私の周辺環境について、思い出しながら綴ってみます。 まず、以前の職場や住まいとは、3つほど離れた区になりました。通勤を考えて、再就職した職場の近くに、住まいを探して引っ越しています。 新しい住まいは、エレベータ付き鉄筋アパートの4階、縦1LDK。地下鉄駅の中間地点のため、以前と同じ家賃で、倍ほど広くなりました。 見晴らしの良いベランダからは、幼稚園と広い園庭が見え、時々子ども達の声が聞こえてきます。初夏には

私の仕事と、彼の実家の雰囲気

こんにちは(^^ 今日は、仕事で法務局内の書庫に通っていたときのことと、その頃の私生活で彼の実家に伺った時の印象を、思い出しながら綴ります。1996~7年ころです。 当時、土地家屋調査士の事務所に所属、私は製図が仕事です。調査士の社長は、新しもの好きでコンピュータに詳しく、不動産 土地 登記簿(公図)のデータ化事業を、自ら提案と推進し、最初に受注しました。 その流れで私は、いくつかの法務局 土地 登記簿が膨大に並ぶ書庫に、出入りして作業するようになります。 データ化さ

結婚の準備をしていた頃のこと

こんにちは(^^ 今日は、結婚前のことと、結婚の準備のことを思い出しながら綴ってみます。1997年~前後の内容です。 プロポーズを受けたのが1996年の夏ころで、そこから「結婚って、どう進めるのかな?」と、2人して手探りが始まります。 そんな中、彼から「高卒になるんだね」と言われ「そっか」と気付き、ちょっと悔しかったので、1997年4月から通信制の短期大学に所属し、経営デザインコースの学習をスタートしています。 それから私は、製図が仕事でしたが、今後はCADかな?と常

社長の病死と、廃業までの記憶

こんにちは(^^ 今日は、結婚前に勤めていた職場の社長が亡くなった時のことを、思い出しながら綴ります。1997~8年にかけての冬~春です。 私のことを採用してくれた、土地家屋調査士の社長とは、パソコンのオフ会で知り合っています。 タイミングよく呼ばれ、採用していただき2シーズン目。私にとっては、仕事も人生も、再び軌道に乗りだし、感謝していたころです。 1997年秋、社長自身は体調が思わしくなかったようで、社長の母校の大学病院で検査を受け、そのまま入院してしまいます。

結婚後の生活拠点、考えて決めたこと

こんにちは(^^ 今日は、結婚式の前後(1998年)で、生活拠点の決断について、思い出しながら綴ってみます。 思いがけず私は、この年の3月に会社廃業で離職となりましたが、3か月後には結婚式を控えていました。当時、実家暮らしだった彼と、今後の生活拠点について、相談しています。 今なら事情が理解できるのですが、彼の祖母は物忘れが始まっていて、火の始末など実際に心配が出ていたようです。彼の両親は、隣の家に暮らす祖母と同居するため、祖母の家側を建替え新築していたところでした。

結婚式と披露宴の体験記(北海道)

こんにちは(^^ 今日は、結婚式と披露宴の時のことを、思い出しながら綴ってみます。1998年6月 とある週末です。 式 直前の3ヶ月、私は意図せず無職でしたが、式の下準備や打合せを日中にスケジュールできて、ちょうど良く過ぎていました。彼との同居の準備も、少しづつ進めています。 私側の両親 親族の大半は、式を挙げる都市から330km離れた、オホーツク海側の酪農村 在住です。300km超えの感覚は、東京からは名古屋、福島、新潟。大阪と松江、神戸と広島...の距離感です。

結婚式のご厚意と、新婚旅行の思い出

こんにちは(^^ 今日は、自分の結婚式のころ(1998年初夏)で、更に思い出したことと書き留めておきたいこと、新婚旅行のこと...を綴ります。 改めて、その当時の資料を少し見返してみました...。恥ずかしさ(汗)と、きらきらした感じ、多くの方々のご厚意に、たくさん支えられていたこと。倍の年齢を重ねた今、改めて深く感謝の想いを感じています。 直前の職場で可能な方々には、お集まりいただきました。亡き社長に代わり、元上司の測量部長に乾杯の音頭をいただいたこと。久しぶりにお互い

ふたりの生活

こんにちは(^^ 今日は、新婚生活のころのこと(1998年 夏~)を、思い出しながら綴ってみます。 結婚式 と 新婚旅行 を終えた 私たちは、最初、私が借りていた鉄筋アパートの4階1LDK で、一緒に暮らし始めています。同棲みたいな雰囲気のスタートでした。 それまでも、遊びに来たり、泊まっていくことが少しはあったけれど...毎日の生活となると、ちょっぴり緊張したことを覚えています。 私自身が失業していて見栄を張れなかった(汗)のですが...朝ごはん、これで大丈夫かな.

義両親と隣居を始めたころ

こんにちは(^^ 今日は、結婚した後に、義両親の隣へ、引っ越したころのことを綴ってみます。1998年の秋~冬です。 義両親は、義父方 祖母の認知症の心配が始まっていて、同居のために、祖母側の家を建替え新築していました。祖父は早くに亡くなっています。 すると今、暮らしている古い家が空きます。そこに、私たち夫婦が、格安で暮らす話で決めていました。 秋。実際に、引っ越してみると...とても広くて、ちょっと怖い(笑)。 手前の古い家側は、昔風の板廊下で、照明なし。両側に、続

弟の自死を知るまでの記憶

こんにちは。 今日から数日間は、次の大きなショック...上の弟の自死...にまつわる体験について、思い出しながら綴っていきます。1999年1月~の出来事です。 賛否の分かれる行動と内容...と思いますし、私自身の癒しと感情の整理が目的なので、有料の設定とします。読者の方には、命 や 生と死 を深く考える きっかけ になることを意図しています。批判しないことを条件に、興味のある方へ、体験談としてシェアします。 ※早期購入の特典は終了しています。 購入せず「スキ」押しも、

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家族が経験した、その後の対応のこと

こんにちは。 前回(弟の自死)の続き...を綴っていきます。1999年1月~の出来事です。 批判しないことを条件に、興味のある方へ、体験談としてシェアしています。なので、有料の設定とします。 ※早期購入の特典は終了しています。 購入せず「スキ」押しも、歓迎しています。

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癒えるまでの記憶 ~家族の自死を経て~

こんにちは。 この有料シリーズ(弟の自死)の最終回...を綴ります。1999年1月~から半年ほどの内容です。 批判しないことを条件に、興味のある方へ、体験談としてシェアしています。なので、有料の設定とします。 ※早期購入の特典は終了しています。 購入せず「スキ」押しも、歓迎しています。

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家庭人としての人生のスタート

こんにちは(^^ 昨日までの重苦しい note に、お付き合いただいたき、本当にありがとうございましたm(_ _)m 今日は、その後の日常生活のことを、思い出しながら綴ります。1999年7月~の内容です。 この年の4月、通信制短大を無事に修了。そのまま系列の 通信制大学 へ編入しています。経営情報学部です。 夫や義父母は、ありのままを受け止めてくれて、干渉や非難するような言葉や態度が一切ありませんでした。私は、ありがたい気持ちでいっぱいでした。なので、マイペースに過ご