樹璃と枝織は、ユリ熊嵐の夢をみるか?④

 ここまでお付き合いしてくださった皆様には、①にて「美しい棘」に見られる「ユリ熊嵐」との類似点を見て頂き、②にて大元にある樹璃と枝織・瑠果の持つ要素と関係性を、③にて新作漫画で引用された銀子と紅羽・ユリーカの持つ要素と関係性を、王子・姫・百合を交えた考察と共に振り返って頂きました。
ここからようやく本題の妄言「新作漫画の樹璃回ってユリ熊嵐と重なってるしあの二人と銀子と紅羽って繋がってるんじゃない?」もとい、ユリ熊嵐の文脈を重ねられた"美しい棘"とはどういった物語だったのか?について考察していきます。

④「美しい棘」は有栖川樹璃が己の鏡を割る物語である

 樹璃と枝織の関係とは、王子と姫の世界において最初から救われない物語として設定されたものでした。
彼女たちがウテナとアンシーのように革命を起こすには、一度己を包む棺の蓋を開ける必要があったのです。
それはTV版・劇場版少女革命ウテナで彼女たちの鏡・ウテナとアンシーの道筋として提示されていた解答ですが「二人の娘たちはどうすればよかったのか?」に焦点を絞ったユリ熊嵐は、二人の関係が救済されるために必要なそれを、さらに分かりやすい表現で描いています。

それこそが「鏡に映る己が身を、千に砕き、万に引き裂く」行為であり、そして「本物のスキを与える存在」少女革命ウテナにおける土谷瑠果・ユリ熊嵐における泉乃純花の存在です。
前者は言わずもがな、樹璃と枝織がお互いにやるべき行動ですが、実はTV版ウテナの最終回にて少しだけそれらしき描写があります。
ウテナが革命を起こした後の鳳学園の風景の一つとして映される「フェンシング部に入部した枝織」です。本当に短いシーンなのですが、過去回想から続くフェンシングを見る側ではなく、やる側として樹璃と同じ土俵に上がる選択をしたこの枝織は、ウテナ単体では「膠着状態から脱却の兆しが見えた」程度に見えますが、後のユリ熊嵐とリンクさせると「相手の側へ自分を変化させる」行いであり、つまりTV版の枝織は己の鏡を割る選択をしたと言えます。
劇場版では「愛によって相手を変える魔女」の鏡「愛を搾取して自分を変える魔女」=対等関係を持たない絶対に革命されない存在として描かれていますが、結局ここでも自らを車に変身させる気概・自分を変化させる気概は十二分にあるのです。

では、もう一方の鏡が割れるには ── 樹璃が己の鏡を割るためにはどのような選択が必要なのでしょうか?
それこそ新作漫画「美しい棘」で描かれた「枝織のために戦うのを辞める=枝織の王子様であろうとするのを辞める」選択です。
②-1の項で"正反対の性質を持つ二人でありながら、同じ王子様とお姫様の理想像に縛られた価値観で互いを見るがゆえに対等にならない"と前述しましたが、アニメでは枝織の問題点が強く目につく一方、樹璃に全く問題点がない訳ではありません。
彼女の王子様を志向している以上、樹璃は守る人間としての観点で彼女を見るため、枝織が望んでいるお姫様同士としての対等関係を築く事が出来ず、それが純粋な献身であろうと逆に格差を見せつける形となってしまいます。
(この問題点は瑠果によって、客観的に視聴者にも明示されています)
結果、枝織は無理にでも同じ女性として追いつこう・負かそうとするので、樹璃の"王子様=奇跡"への執着は、劇場版でも自ら語るように「樹璃を縛り付けるもの」彼女の棺であり、割るべき己の鏡なのです。

 そこで重要になってくるのが「本物のスキを与える存在」になります。
②-3で皆様には、TV版で瑠果がウテナにとってのディオス(アンシーにとってのウテナ)の役割・"最初に棺を開けるもの"である考察を共有していただきましたが、ユリ熊嵐においては「最初にスキを与えた存在」よりも「スキがどのようなものであったのか」を思い出させる・改めて教える役割の方がより重要なものとなっています。
これは百合ヶ咲るるが捨てたスキの象徴・ハニーポッドを拾い「失ったものを忘れてしまったら、本当に失ってしまうよ」と諭して彼女に返しに来た銀子であり、紅羽にとっては、銀子のスキを手放して孤独になった彼女が新たに見つけ、一から"ともだち"の関係 ── 互いを見つけ承認し合う関係 ── と"スキを忘れず諦めない事"を教えてくれた泉乃純花に当たります。
棺を開ける救済を教わったウテナがアンシーの棺を開けられたように、それぞれ二人は持っていたスキを自らの過失によって手放しますが、スキを諦めない姿勢を持った相手に出会った事で、るるは報われないと知りながらも銀子のスキのために最期まで奔走し、紅羽はスキを諦めないためクマと透明な嵐の脅威に立ち向かえるのです。

 「美しい棘」の中で、枝織の生家を望める川岸の道に樹璃が立つシーンがあります。家と道の間には、大きな橋がかかるほど広大な川が広がっており、枝織の世界と樹璃の世界は分断=断絶されています。
しかし、増水した川に枝織が溺れたのを見つけた樹璃は、迷わず川に飛び込み「あの場所にたどりつくことは永遠にできない」と言っていた向こう岸へ泳ぎ、枝織を助け出す事に成功します。
溺れている人間を助けるために命も惜しまず飛び込むのは、漫画版ウテナから描写されている王子様としての行動ですが、"本物のスキは、私を嵐に飛び込ませる"とはユリ熊嵐での銀子の台詞です。
その代償に精魂力尽き、川に沈みゆく樹璃に「ここで諦めてはダメだ」と彼女を救い出したのが瑠果であり、樹璃は死んだ瑠果が自分を見つけていた事・自分をスキだった事を初めて知るのでした。
瑠果に託されている役割は、ウテナ時代からの救済者=王子様だけでなく、スキを与えると同時にスキを諦めない人間でもあり、ただの姫でもなく生まれついて王子様でもない樹璃を「戦いの女神だ」と承認する役割でもあるのです。

ゆえに、決闘の幻想から立ち返った樹璃は、枝織に以下の台詞を伝えます。

樹璃「私は… 私を助けて死んでいった瑠果のためにも
   君を守る王子様でいたいと戦い続けてきたんだ」
  「でも、これからは──」
  「やっと分かった 私は戦うのが好きだ それだけでいい」

彼女にとって棺を開ける行為・鏡に映る己が身を、千に砕き、万に引き裂く行為とは、王子様でない自分を承認すること ── 戦い続けた戦士たる自分を認め、受け入れる事。
「美しい棘」は有栖川樹璃が己の鏡を割る物語なのです。


⑤結論

 新作漫画を買って読んでからというもの、今となっては私の中で銀子&紅羽とこの二人はすっかり繋がったものだと落ち着いてしまいました。
ウテナから十八年後に描かれたユリ熊嵐とは、王子様の男から自ら脱出して少女革命を起こせたウテナとアンシーの物語の焼き直しではなく、男の世界から脱出してもなお根本的な解決にはならない、女性同士ひいては自分と全く異なる人間として互いの問題を見つめ直す必要がある二人の女性・樹璃と枝織の物語の延長線上にある"断絶されたともだち"の物語であり、十八年後にようやく提示された「彼女たちが断絶を超える方法」であると、私は解釈しています。
そうした作品の文脈をかぶせられた二十一年後を描くエピソード「美しい棘」とは、まさしく「救われなかった二人が原案者によって救済を承認された」話ではないでしょうか?
筆者は百合ジャンルは全くの初心者なのですが、今回の一件で百合が広げてくれる可能性について気づかせてもらいました。
勿論、これは公式見解でもなんでもない妄言に留まっていますが、とにかくこんな読み方もあるのだと、新作漫画を読んだ人々にお知らせできれば幸いです。

ここまで読んだ皆様は、どう思っておりますでしょうか。
樹璃と枝織は、ユリ熊嵐の夢をみるでしょうか?
二十一年前の世界で救われなかった関係が、十八年後の世界で承認された。
一ファンの私には、そんな夢がどうしても見えてしまうのでした。
願わくば、鏡を割った二人が断絶の壁を越えられますよう。
ここまでお疲れ様でした。

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