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書評 すごい無意識

令和2年 2月5日の読書ログ

うん十年前のこの日、関西の私学受験から帰ってきた私を叔母が駅まで迎えに来てくださっていた。駅から家まで5分??

開口一番「びっくりしやんときや」と叔母から祖母の死を知らされました。前夜、祖母の部屋でタバコ吸って(-_-;)「おやすみ」と言葉を交わした、それが最後でした。

享年69歳老齢というには当時でもまだ若い彼女の口癖は「死んだ方がましや・・」でした。
その言葉通りの、あっけない最後でした。

無意識に発していた、言葉通りになったのでした。
あの時、言葉と現実の関係まで思い至ることはありませんでしたが、なんとなく、「ゆうてはった通りになった」とそういう思いを抱いたのはあの日からだったように思います。

今朝の読書は、
「すごい無意識」
著 梯谷幸司
版 フォレスト出版

大切なことは、やるか、やらないか?
できる、できないではないんです。

そして、
自分が人生で何をしたいのか、ではなく、
人生は自分に何をさせたいのか??

アウシュヴィッツ収容所で生きのこった精神科医ビクトール・フランクルが著者「夜と霧」でそのように述べているそうです。

生死を分けたのはこの問いに対する自分の答えを持っていた人。

金持ちか否か、健康かどうか、若いか若くないか、は関係なく、収容所の壁の向こうで自分のやるべきことを知っていた人たち。

この問い、ちょうど今月号のワクワク系実践会の冊子の締めにも紹介されていました。

なんのために生きるのか?
自分が「やりたい」ことではなく、「人生が自分にやらせようとしていることは何か」。

できないこと、不十分な事実に向き合い不完全な自分を補うためという問題回避のために何かを義務で達成しょうとするのではなく、
できる、できないではなく、
この命を何のために使うのか?
だから、やるか、やらないか!

資本主義的な前提で生きてきた、これまでは
できる、できない、もしくは好きかそうでないかで仕事を選び気が付くと「生活のためにこの仕事をやる」「やめるわけにはいかない」という状態が「よし」とされてきました。

目的が、生活のため では、病気になってしまう。
確かに、生活のために働いている方々の多くはフィジカル、もしくはメンタルがよろしくないな~と感じることが多いです。

限定的自我=そもそも自分には何かが欠けている。
だから補わなくちゃ という思考でいると、病気になる。

意識してそのように考えているわけではなく、無意識のクセで自分には何かが足りない、欠けている、という認識には気付かない。

今日バッチリ決めなきゃと再度決意したのが、
自分基準。

例えば、
私にとって幸せとはどんな状態?
成功とはどんな状態のことを指す。
その時 誰と一緒に何をどうしている。
持ち物は? 洋服は? 家族とはどんな関係。

ここ具体的に、明確にする。

で、なければ人生の船をどこにも連れて行ってあげられない。
いや、この著者の本はなんど読んでも深い。

すべては自分原因説。
これが苦しくとも、もっとも物事が好転する土台。
 
とか、書きながら未熟な私は汗かいちゃうぐらい、伸びしろだらけ。


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京都で「知的資産とビジネスモデルの専門家」として、活動しています。現在は内閣府の経営デザインシートの普及に勤めています。

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京都で知的資産とビジネスモデルの専門家として活動しています。https://tie-kei.info/
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