女性同士は分かり合えるようで分かり合えない

よく、職場の上司や先輩が女性だったり、何かを相談する相手が女性だったりすると、「相談しやすい」「分かり合えて良い」という話を聞きます。

確かに、そういう一面も大いにあります。「女性同士」ということで連帯感も生まれますし、女性は多くの場合、「話を聞いてもらいたい」「話を聞きたい」と感じるようで、そういう意味でもお互いの欲している部分も分かり合えたり、お互いに辛いことの境遇が似ていたり、また、後輩は先輩をロールモデルとしやすい、という点もあります。

でも、この「女性だから分かり合える」と思うことは、時として危険な面も多いなと思います。

当たり前ですが、女性というざっくりとしたカテゴリーで括られた中には色々なタイプがいます。大人しい人、賑やかな人、クールな人、熱い人。
ただ、本当は全然似ていないのに、何となく「女性枠」という一つの型に押し込められる感じがしてしまいます。

また、女性はしばしば、女性に遠慮がないというか、女性に厳しいこともしばしばあります。特に、「きちんとしている」女性は、「自分ができたのだからできるでしょう、なのになぜできないのか」「こうあるべきなのに、なぜしていないのか」と思いがちなところがあるような気がします。

さらに、少し放っておいてほしいな、と思う場面で放っておいてくれず、ずかずかと内面のプライベートな部分に土足で入られたり、逆に当然親しい関係性だと思っていたのに急に壁を作られたり…なかなかややこしいことも多いです。

多分、これには恐らく「女性だからきっと分かり合えるでしょう」という私側の甘えもあるのかな、と思います。期待してしまうからこそ、意外と分かり合えないときに勝手に落ち込んでしまうのかなと思います。

これが男性の同僚や友人だと(パートナーや家族はまた別枠ですが)、分かり合えないのが当然、と初めから分かっているので、「分かり合えない」感覚はかえって少ないような気がします。

ですので、女性同士と言っても、「女性」というカテゴリーで括られているだけで分かり合えない他人と捉えれば、そこまで色々思い煩う必要性はないですし、甘えすぎることもなければ敵意むき出しにすることもなく、うまい距離感でやっていけそうな気がします。

意外と、この「同じカテゴリーで括られているけど実は分かり合えない」問題は性別だけでなく、出身地や職種、はたまた、趣味でも同じことが言えると思います。

同じ東京都出身でもクールな人もいればハートフルな人もいますし、同じ公務員でも、「クビにならずやるべきことを淡々とこなせれば万事OK」という人もいれば「本気でこの自治体を良くしてやる!」と燃える人もいます。同じ美術館に行くことが好きな人でも、現代美術が好きな人、印象派が好きな人、狩野派が堪らないという人もいて色々です。

同じ属性だからと言って安易に仲間意識を持つのは時として弊害になることもありますし、また、例えば友達やパートナーを探すときに、必ずしも同じ属性にこだわる必要性はまったくないと思います。

もちろん、繰り返しますが、同じ属性にいるということは、お互いの境遇を理解し合えて分かり合えるという良い面もたくさんあります。

ただ言えることは、「同じ属性にいることをもって相手に過度な期待はしない(同じ属性にいると無意識に期待しがち)」「同じ属性にいるからこそ違いが際立つことがあるのを理解する」ということなのかな、と思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?