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浄瑠璃淵(じょうるりぶち)の由来 (その1 全3回)

今日はね、愛知県の岡崎市に伝わる源義経と浄瑠璃姫のお話だよ。

ポンと昔。今から800年も前の平安時代の事さ。平家たちは華やかな暮らしをしていたんだよ。

京都の鞍馬山くらまやま稚児ちごとしてね牛若丸16歳がいたのさ。平家との戦いで負けてしまった源氏の源義朝のこどもの牛若丸さ。小柄で色白の涼やかな目をしていた少年だったって。

ある夜の事さ。牛若丸がひとり、笛を吹いているとショウモンボウという人が近付いてきてねコッソリと言ったんだ。

「牛若丸様。あなたは源氏の大将・源義朝のお子にございます。若大将様。東の国では源氏の大将を待ちわびております。源氏の者たちをまとめて平家を倒そうではありませんか」

とね。初めて聞くことでびっくりしていた牛若丸だったけれど、ハッキリと決めたんだ。さっそく牛若丸はこっそり鞍馬山を降りて奥州平泉の藤原家へと旅立つことにしたんだよ。奥州へはお供にキチジとそのなかまたちが一緒に行ってくれたんだよ。そしてその時にひとりで元服げんぷくを済ませると「源九郎くろう義経」と言う名前にしたんだ。こっそり抜け出して来たのだから、大通りを通って行くわけにはいかない。山の中やら小さな裏道を通って遠い遠い奥州を目指して行ったのさ。奥州とはね、東北の事さ。岩手県まで歩いて行くのだから長い旅だよ。

愛知県の矢作やはぎという町まで来た時の事さ。道に桜の木が並んでいる所まで来ると向こうに立派なお屋敷が見えた。三段五段と積まれた石垣の上にあった大きなお屋敷だったよ。そこには白い蔵が数えきれないほど並んでいたんだって。

今日はここまで。読んでくれてありがとう!義経たちの冒険はまだまだ続くよ!お休み、ポン!

#日本史 #平安時代 #源義経

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