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【調べ物】歴史から学ぶDX -第三次産業革命③(日本の経済成長の要因)-

■ 今日もせっせと産業革命

 はい、歴史から学ぶDXシリーズ6日目ですね。今日もせっせと行きましょう。過去記事は以下のマガジンにまとめています。

 昨日はコンピュータの発展の歴史を振り返りましたが、今日はコンピュータが社会にもたらした変化について調べたいと思います。

■ 産業革命の恩恵

 産業革命と言えば革新的な技術の普及によって社会の構造が変わるようなインパクトをもたらすのが特徴です。第一次産業革命はイギリスで起こり、蒸気機関の馬力を利用した機械の発展により「世界の工場」と呼ばれるようになるまで発展しました。

 第二次産業革命はドイツ・フランス・アメリカが舞台で、電力の普及により不眠不休の大規模工場ができて重工業が発展し、カルテル・トラスト・コンツェルンなどで会社も大きくなり資本主義・独占主義の流れが進み、原材料を輸入するために植民地を広げる動きが活発になり領土争いで世界大戦・・という流れでした。

 今回の第三次産業革命はコンピュータの発展という事で、場所はどこだったのか、どんな経済影響があったのかなどについて調べていこうと思います。

■ 日本 vs アメリカ

 小型化されていわゆるパソコンができる前は、いわゆる装置としての汎用コンピュータの性能を競う戦いだったようです。「2位じゃダメなんですか?」でおなじみの「京」や、今年TOP500で世界一を誇った「富岳」など、スーパーコンピュータの性能の争いです。TOP500自体は1993年に始まったのですが、それ以前の性能争いは日本 vs アメリカの2強だったようです。

 下の図は1970年から2005年までのスーパーコンピュータの性能の歴史ですが、2000年ぐらいまではスーパーコンピュータの発展は日米の2ヶ国で競っていたようです。Intel・IBM vs 富士通・日立・NECのような競争ですね。

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■ 国による後押し

 なぜ極東アジアの小さな島国がコンピュータの発展において大国アメリカと肩を並べることになったかと言うと、既に国際的競争力を持っていた国内のコンピュータ関連企業に国の補助が投入されたことが大きいようです。

 1962年から通産省補助金によるIBM大型計算機に対抗できるコンピュータの国産化計画が日本電気,沖電気,富士通の3社の参加でFONTACプロジェクトとして実施され、1970年にはIBMのシステム370に対抗していくため、通産省(現在の経産省)の指導によりコンピュータメーカは三つにグループ化され、富士通と日立はMシリーズを、日本電気と東芝はACOSシリーズを、三菱電機と沖電気はCOSMOシリーズをそれぞれ開発した。

 もう通産省(経産省)直々にメーカーに開発を命じたり分担を命じたりしているので、明らかに「アメリカに負けるな!」という国の姿勢が出ていますね。1981年に通産省が始めた科学技術用高速計算システムプロジェクト(スーパーコンピュータプロジェクト)では、1990年代に想定される膨大な計算負荷に備えるためのスパコンの要素技術開発に9年間の投資が行われたようです。このプロジェクト成果として世界最速の国産スパコンが登場し、1980年代後半から1990年代にかけては日本の独壇場とも言える時代を築いたようです。相手がアメリカということもあり官民ともに戦後復興・一致団結の熱量が大きく、そこに国からの長期にわたる大規模投資が功を奏し、見事世界一に登り詰めることができたようです。

 アメリカもそんな日本を警戒し、スパコンの貿易に関税をかけたりしていたようです。現在中国に仕掛けていることと同じですね。本当の脅威になってくるとサービスではなく牽制してくるんですね。それだけ当時の日本は凄かったのでしょう。

■ 日本の経済成長の要因

 日本の経済成長の要因について調べていましたが、様々な要因が絡んでいそうで一朝一夕では整理しきれません。正解とは言わないですが、以下に「なるほどな」と目に留まった記事を載せておきます。

 日本の経済成長はハーバード大学の授業でも人気講義のようで、なぜあれほどまでに成長できたかは注目を集めているようです。その中で日本の整腸要因について以下のように書かれています。

一般的に国を成長させるには、(1)リソース(ヒト、モノ、カネ等の資源)を確保し、(2)そのリソースを今後、リターンが見込める重点産業に集中的に分配し、(3)その産業の中でさらに効率的にリソースを使う――という3段階が必要になります。日本の場合はこの3つがうまくいく土壌があったのです。

日本政府は、戦後復興資金を得るために貯蓄運動を展開し、国民もまたそれに応じて貯蓄に励んだため、日本は国内から経済成長のための原資を調達することができました。またリソースを重点産業に集中的に分配する政府機関もありましたし、企業が競争し、効率化を進めるために必要な国内市場もありました。

政府はこれらの資金を重厚長大型産業や製造業に分配し、企業は互いに競争することによって効率化を進めていきました。さらに政府は輸出を推進し、外国企業とも競争することを奨励したため、日本企業の競争力はますます強化されました。

 なるほど。「まずは貯蓄して原資を確保しなさい。そこで得られた原資を重要な分野に投資しなさい。そして海外とも競争して磨き上げなさい。」という政府の政策がうまく機能したと書かれています。また、以下のように書かれています。

最も大きな理由は、日本よりも先に成長していた国が、重厚長大型産業を育成することで経済を成長させていたことです。アメリカで成功したのならば、日本でも成功するだろうと考えたのです。重厚長大型産業は需要の所得弾力性(所得が1%増加した時、需要が何%増加するかを表した指標)の高い産業です。つまり国民の所得が上がれば、それだけ需要が増し、成長する産業なのです。

 また、業態別の経済成長の歴史をみても、製造業(重工業)→電機・家電・自動車→小売・サービス業というような形で成長しています。

■ 日本の成長の流れ

 経済の専門家からすれば完全に怒られますが、本当に自分なりにざっくりと、コンピュータが要素技術の産業革命としてこの経済成長を捉えると、以下のような流れになると思います。

【1955~1965年】
・米国で成功している重化学工業を模倣して雇用を増加。
→ 所得を増加させ需要を喚起。
→ 三種の神器などでステータスを普及し内需を増加。
→ 二次産業の発展

【1965~1975年】
→ 国家としてコンピュータ産業に重点投資。
→ 家電・自動車の高精度化。
・団塊の世代への高度教育の実施。

【1975~1985年】
→ 輸出強化で貿易黒字。民間競争力増。
→ 三次産業(金融・サービス業)の発展
プラザ合意により円高となり貿易赤字拡大。
→ 景気後退。

 戦後の復興の一体感から上手く民意と政策が噛みあい、リソースの増加・重点産業への分配、設備投資のリターン、輸出拡大による貿易黒字などが順番に連鎖して急速な経済成長が達成されたのだと思います。

 いい時期にコンピュータを重点投資産業と位置付け国家レベルで投資してきたことが後になって功を奏し、既に普及していた家電や自動車がより高精度になり、輸出しても世界で最高品質を確保することができ、結果的に世界2位の経済大国まで成長できたことは、やはり第三次産業革命と言っても過言ではないと思います。改めてこのグラフを見ると、コンピュータの成長が著しかった1960~1990年代の日本の成長は、第一次・第二次の成長に全く負けてないですね。

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という事で、オフィシャルな第三次産業革命は定義されていないですが、
 ・要素技術のコンピュータで世界最先端を競っていた
 ・日本のGDP成長率は奇跡と言われる伸びを見せていた
という点から、勝手に第三次産業革命の主要国に、アメリカと一緒に日本を入れておきましょう。(^-^)

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■ 次なる要素技術

さて、第三次まで終わり、いよいよ現代に移ってきますね。第四次産業革命は、AI・IoT・ロボティクスと言われており、産業としては確かにその流れかもしれませんが、ここまで調べてきてどうしても「インターネット」が外せない気がするので、次回はインターネットを調べてみたいと思います。

 多分Society4.0と言われる、インターネットに端を発するソフトウェア・クラウド社会の発展(1990~2020年:アメリカ)と、Society5.0と言われるAIに端を発するデータ・IoT社会の実現(2010年~2030年:中国)はそれぞれ産業革命と同等のインパクトがある気がするので、ちょっと分けて考えていこうと思います。多分100年後に語られるとインターネット→クラウド・ビッグデータ→AI→IoTなどの流れで2000年~2040年ぐらいの感じで語られる気がしますね。

それでは(^-^)

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