見出し画像

私がうつ病になり回復に至るまでの過程、自己流のオススメ対処法、そして今考えていること

私は今、教育大学に通う20歳の女子大生。

といっても、大学2年の後期に当たる現在、授業には一度も出ていない。

決してグレたわけではありません。友達と上手くいかなくなったという理由もありません。


うつ病になったからです。


今回は、私がうつ病に至るまでの経緯、そしてどのように回復していったのか、回復しつつある今どのような生活を送っているのか、について記します。この記事を通して、共感できる人や同じような経験をもつ仲間が増えたら嬉しいです。

私がうつ病に至るまでの経緯について。

まずは簡単に、どのような人間なのかをお伝えします。

幼い頃から、自分より年下の子どもと遊んだりお世話をしたりすることが大好きだった私。将来の夢は、保育士から小学校の教師へと定まっていきました。

中学では厳しいバレー部の練習に耐え、貴重な経験と大切な仲間が沢山できました。体力・忍耐力・精神力を鍛え、高校では茶華道部に入部し、今度は礼儀や作法を身に付けることに。部長を任せられ、先輩・同期・後輩の部員みんなと仲良くなりました。

高校には学力推薦で合格したため、大学にはセンター試験と2次試験の点数できちんと実力を発揮して合格したいという思いがありました。

勉学に励み、無事第一志望の国立教育大学へ合格。

小学校の教師になるため、日々の授業やレポート課題に真面目に取り組みました。そう、真面目に。この真面目さは、大事なことだけど時に自分を苦しめるということにまだ気付いていませんでした。

幼い頃から歌と踊りが大好きで、いつも家で歌ったり踊ったりしていた私は、大学でダンス部とアカペラのサークルに所属しました。実家から通っている私は、大学まで片道1時間半かかります。ダンス部の練習がある曜日は、家に着くのは23時頃。次の日が1限からの授業なら、翌朝起きる時間も早いです。また、レストランでのバイトは終電で帰って寝る時間は1時半頃になることも。こういう大学生は多くいると思いますが、私の場合、睡眠時間が削られることはかなり心身への影響を与えるものだったようです。

アカペラサークルのほうは、グループのメンバーと合う空きコマの時間で練習するというスタイル。初めは良かったものの、段々とバイトや授業の取り方で空きコマが合わなくなっていきました。また、新曲をするために挑んだ楽譜作り。これが後々、私に大きなダメージを与えました。予想以上に大変かつ、膨大な時間と労力を費やして完成したとしても「ありがとう!」の一言で済まされてしまうからです。最初のグループがあまり上手くいかなくなってきたため、新しいグループを組んでみることに。率先してリーダーになって、楽譜も一人で作って、なかなか集まりが良くなくて焦ったり、理想通りのハーモニーを奏でられず落ち込んだり。

それでもそのときは目の前のことに必死で、自分の心身が休まっていないことには目を向けることなく突っ走っていました。それはそれで充実していたし、全力で頑張ることは苦ではありませんでした。

けれど、大学2年に上がる前の春休み頃から、部活とサークル共に代替わりが始まり、ついに歯車が狂いだします。部活では、毎年3月に行われる一年の集大成である舞台の運営係に。サークルでは、毎回のライブの幹事係に立候補。どちらも、一員として役に立ちたい、先輩や同期の仲間、後輩たちと仲良くなりたいという純粋な気持ちで手を挙げました。

でも、現実は上手くいきませんでした。

何度も自己分析をして分かったことなのですが、私は人より真面目すぎる気質があり、人に頼ることが凄く苦手で何でも一人でしようとしてしまい、おまけに完璧主義が強い人間なのです。

初めての係の仕事は、先輩や同じ係の仲間、同期に頼りまくって助けてもらいまくって相談しまくって、ようやく仕事に慣れていくもの。だけど私の頭の中には、その発想がなかったのです。そして、人の優しさを知らずにただひたすらもがいて苦しんでいきました。

それに加え、バイトやプライベートの遊びや旅行が入りスケジュールはパンパン。いつしかベットで横になっていても、悩みや不安が頭のなかを埋め尽くし、ついに、眠れなくなりました。不眠症の始まりです。そして、朝が来ても体が起き上がれない状態に。予定はいっぱい詰まっているのに。焦ってまた脳が休まらず、色々な連絡が来るSNSを開くことが怖くなり、スマホを触れなくなりました。このことで、多くの人に心配をかけ迷惑をかけました。

こうして、まずは大学の健康科学センターへ親と行き話を聞いてもらい、近くの精神科を受診。カウンセリングを受けた後、医師から「うつ病」と診断されたのです。

では、どのように回復していったのか。

とにかく休むこと、薬を飲むことです。

とはいえ、真面目すぎる私には休むなんてことを簡単には出来ませんでした。

問題になっていることが自分の中で不明確なまま複雑に絡み合っている感じでした。家族や彼氏や親友が話を聞いてくれて、改善策を考えてくれても、真面目すぎる気質と完璧主義な性格のせいで、自分で納得できずにまた悩み苦しむ結果に。

あっという間に春休みも終わり、4月の大学2年の始まりにも体調は整っていませんでした。大学にも通えず、部活や係の仕事もおざなりになってしまい、毎日自責の念にかられていた私を救ってくれたのは、彼の一言でした。「なんで頼ってくれないんだよ!!」夜のベンチで。彼は泣きながら。泣きながらもっと頼ってほしいと言ってくれたのです。ふっと涙がこぼれました。今まで、人に頼るという概念が私の中には存在せず、このとき初めて「辛いときは人に頼っていいんだ。」ということが分かったのです。

次の日から、一緒に大学まで行ってもらい、徐々に授業に出れるようになりました。彼には本当に感謝しています。

薬も効き始めたのか、5月頃にはうつ病の症状は一気に消えました。今までのことが嘘のように、部活もサークルも係の仕事も順調に進めることが出来るようになってきました。苦しんだ分、毎日がとても楽しく感じられて、睡眠時間が短くても目が冴えて「ぱああ!」っと世界が明るく見えました。

しかし、これが第2の病気の始まりだったのです。

双極性障害Ⅱ型。躁うつ病と呼ばれる病気です。5月頃から私は、躁状態に陥り、「私は何でもできる!」「エネルギーが有り余っている!」と感じるようになったのです。活動量も多く、別人のように多弁になりました。人の気持ちをあまり考えずに発言したり、いきなり大声で歌いだしたり。

躁状態の怖いところは、本人はいつもと違うことを全く自覚できず、周りの家族や親友、彼氏、友達だけが戸惑い迷惑がかかってしまうということです。幸い、私の周りの信頼できる人たちは私の異常さに気づいて指摘してくれたので、早い段階で主治医に相談することが出来ました。原因は、抗うつ薬が合っていなかったからで、服薬をやめることですぐに落ち着きました。

でも、私にとっては大きなトラウマとなっています。薬のせいとはいえ、沢山の人に迷惑をかけてしまって、歌が大好きなのに鼻歌さえ歌うのが怖くなってしまい、楽しい気持ちになっても素直に表現することに抵抗を覚えたり。

ただでさえ人に迷惑かけたくなくて頼れない性格なのに、病気のせいとはいえ大切な人たちに迷惑をかけてしまったことを思うと、反省してもし切れませんでした。

結局、レストランのバイトを辞めたくらいで、前のパツパツなスケジュールとあまり大差ない毎日を送りながら何とか大学2年の前期を終えました。

そして、夏休み。

再び地獄が始まってしまいました。

2度目のうつ状態。

こうならないように、一週間のうち一日は「休養日」を設定するようにしたり、部活とサークルに注ぐエネルギーを半々にしようと決めたりしていたにも関わらず。またあのしんどい日々が待っているのか、と思うと苦しくて認めたくなくて、しばらくの間は否認していました。

だけど、やっぱりまた起きれなくなって、予定をこなせなくなってきて、認めざるを得なくなりました。

毎日の予定を断る連絡を入れる度に、罪悪感に苛まれ気が狂いそうになりました。体壊してるんだから、しょうがないことなのにね、って今だから言えるけど。

こうして大好きなダンスも歌もできなくなり、心に余裕がなくなったことで大切な親友ともすれ違いが起きるように。先輩の実習を観る授業では、実習が物凄く大変なものに感じて大きなショックを受けました。こんなんじゃ小学校の教師になんてなれない…と不安になって、将来の夢まで失いそうになりました。

夏休み中、部活もサークルもバイトも遊びもSNSも全て休んで、とにかく復活できること、また前の様に躁状態になって躁とうつを短い期間で繰り返す「ラピットサイクル」にならないように徹することに。

結局、大学2年の後期の授業が始まっても体調は改善されず、進級のための単位は足りていることが分かったので、家族とも話し合い、後期の授業にはいかず、とにかく安定を取り戻すことにしました。

私が実践したことで回復に役立ったと思うのは以下のことです。

・とにかく寝る。脳を休ませないことには動き出せない。

・読書する。休むことに抵抗があったから、本を読んで学ぶことで自分を落ち着かせた。自分の病気についての本や、考え方の癖を変えるための本など。図書館に行くのもお勧めだけど、初期段階では結構きつい。

・太陽の光を浴びる。外出して、軽く運動が出来るならそれに越したことはないが、うつ病になると大体引きこもってしまう。だから、せめて、ベランダに出て日光浴をして、セロトニンが出るように習慣づけよう!

私は約4ヶ月程、上記のことをして過ごしました。光や音の刺激にも慣れてきてからは、次のことも効果的です!

・amazon primeで映画やドラマを観る。色んな人生があることを知れて視野が広がるきっかけにも。

・TVでお笑い番組を見る。笑いは大切な処方箋!!これめっちゃ大事!!

・YouTubeで元気をもらう。私の場合は、大学の卒業式での芸能人のスピーチとか、モチベーションを上げてくれる動画とかが良かった!

そして、あるときジョギングを始めてみて、もともと運動が好きだったからこれが凄くいいきっかけになってくれました。

少しずつ、連絡を取れるようになったり、信頼できる人とは会えるようになったりしていき、回復していったのです。

最後に、回復しつつある今どのような生活を送っているのかについて。

様々なジャンルの本を読んでいく中で、あるとき武田友紀さんの「繊細さん」についての本に出会いました。読んでみると、私のトリセツのような内容で、ぴったり当てはまっていたことに衝撃を受けたことをよく覚えています。これが、HSPという概念との出会いでした。

それを機に、Twitterやnoteで自分と同じ経験や気質をもつ人と繋がったり、当事者だからこそ分かることを発信したり共有したりするようになりました。

また、文章を書くスキルを身に付けるため、クラウドワークスでのライターの仕事も最近始めたところです。

毎日、何かしら用事を作って外に出ること、夜は大スキなハーブティーを飲みながら一日の行動や感情の変化を振り返りながら日記をつけることを続けています。


普通の大学生とは違う日々を送っていると、やっぱりどうしてもこのままで大丈夫なのかと不安になったり、他人と比べて自分軸がぶれそうになったりします。そんなときは、Twitterで呟いたり自分のことを客観視して感情をありのままにキャッチした上で「今、自分にできることは?」と考えるようにしています。

今の私だからこそできることがある。

無駄な経験なんてない。

うつ病、双極性障害、HSP繊細さん。この経験や気質を活かして、同じように苦しむ人たちの手助けをしたい。当事者にしか分からないことを共有して、共感しあえる人がいる喜びを分かち合い、一人じゃないという安心感を感じられるような発信を心掛けていきたいと思っています。

長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました^^



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?