イエナプランのビジョンと実践に学ぶ

「自治体レベルの教育改革にどう活かす?」という副題がついていました。市で企画して、市長自らがファシリテーターをして、教育長はじめ教育委員の皆さまが一番前でリヒテルズさんに直接質問&感想を述べたり議論の種をまくことができるこのスタイル。それが、まず凄い。本気度を感じます。

リヒテルズさんの、「問い方のマジック」に乗せられない姿勢。本質的なところからまったくぶれずに、聞いていて安心感がありました。

イエナプラン自体にいろいろ思うこともあるし、出てきたワードから連想したことも沢山あるけれど、それはまた今度にして、ざっと印象に残ったことをメモ。

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教育を変えることは社会を変えること。

国境を越えて起きている問題は、海を越えた国の人たちとどう手を取り合うかという課題で、自分の国のことだけ考えていては追い付かない。

AIの時代に、人間の感覚を生かした学び(視覚聴覚だけでなく、触覚味覚嗅覚など)こそ大切、だからホンモノを題材にする。

学校が理想の社会を先取りすること。

教授に対して「でもそれは・・・」と意見できる学生の存在、それが新しい発見の生まれる土壌。

共同体としての学校は、自由と創造性を育てる苗床、連帯と博愛を育てる苗床、つまり違いを乗り越えて受け入れ合うってこと。

「8つのミニマム」は「できないかもしれないけど常に目指していこうとする約束」

ミニマムの「教育の人類学化」とは人間に関する学問、子どもの発達に関する学問を用いましょうということ。

ミニマムの「批判的思考に向けた教育」とは、情報をうのみにせず一旦取り入れ考えること。

同じ出来事は過去にはない。進むグローバル化や環境問題は、創造的に解決するしかない。

学校はダブルスタンダードになりがち。本当はこう思うのに、先生らしく振舞うという態度は子どもからしたらウソに見える。目の前にいる教師が「本物」なら、こうありたいという希求が子どもの中に生まれる。

教科書は常に正しいということはない。どんな科学も一時的な真理であり、書き換えられうる。

ユニークさとは飛び出た独創性ではない。「ユニークである」という言い回しに縛られないで。一人ひとり違うという当たり前の事実が「ユニーク」ということ。

同じ年齢がかたまって存在する集団は学校にしかない。

ホンモノに触れた時にこそ内側から湧いてくる問いがある。

氷山モデルの「見えていない部分」に働き掛けないと持続可能は変化はできない。

自己マスタリー(「自分の人生と目の前のことがどう関係づけられているのか、自分の人生でどうしたいのか」というアイデンティティと核心的な価値)がベースでミッションがある。それを基に共有ビジョンを持ち(これが大事!)、戦略(どのように取り組むか)をもって実践していく。目に見える実践部分だけの議論だけにならないように。

自分たちがどこに向かっていきたいのか、自覚して共有すること。

一人の子どもの背景にあるリソース(その子の家族や親せきに専門家がいるかもしれない)を用いる。学校の枠組みに、リソースを取り入れる。

かつて学校は産業戦力を育てる場で皆同じに機械的なことをするのは大事だったが、これからそれはAIがやっていく。点数評価できない部分がこれから人間に必要な力。

同じ言葉で話をしていても、裏側にあるものは異なっているかも。いくら話しても話したりない。対話することの大切さ。

子どもが「今何ができて何ができないか」を常に記録するシステムを作っておくこと。子ども自身が当事者意識をもって「今自分は何ができるようにならなければならないのか、何ができるようになりたいのか」を自覚できるよう働きかけること。

子どもを信頼して任せられる場がなければ子どもは育つはずがない。強制されることは子どもの健康への攻撃。

遊んで信頼関係を作る。黙っている子がいても、その子のやり方を認める。学年の始めにしっかり仲間を作る。最初ができていれば、その後の対話で不快があっても話して解決できる。

子どもは信頼された時に信頼にこたえようとする。

子どもを信頼して自由を与えるためには、教員自身が自由を享受していなければならない。子どもを「人間」として育てたいなら教師自身が「人間」でなければならない。人間とは五感を使って生きている存在。教員は子どもの全的な存在をあらゆる感覚で感じ取って初めて発達を支援できる。

教育はやがて死んでいく私たちのためではなく、未来を生きる子どもたちのためのもの。

宿題を出さないオランダの先生の言い分は、「宿題を出さなければならないような勉強の仕方をしていると仕事も同じようになる」

教師に必要なのは自分が知らないということをオープンにできる力。

自由を学ぶためには失敗が必要。枠組みを作って選択肢を与える。

幸せな子ども=社会の中に居場所がある子ども。人のためになっている、社会に受け入れられているという感覚。「社会」そのものはすぐ無理でも、学校なら変えることも可能では?

オランダの不登校80人ちょい。様々な学校があり、教育ビジョンが明確。学校を選べるから不登校も少ない。

保護者にとっては「しっかり聞かれた」という実感が大事。クレームは言うが、「聞いてもらっている」という感じがないのでは。オープンになって聞くということが大切。対話になること。保護者は子どもの代弁者なので保護者の求めることは大切だけれど、「本当にそう思うのか」と聞き返してもいい。

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まだまだまだ、学びたいことは続きます。


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