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歌詞のはなし

演奏する側と聴く側の気持ちや状況で、歌詞の意味は大きく変わると思っていて。
それが連なっていくと「歌詞の意味は時代とともに変わっていく」なんて考え方になるのかなぁと思ったりもするのですが、それら全部が実は「曲の意思」によるものなのでは……?
なんて、変なことをぼんやりと考えてます。

という訳で、今日は歌詞のはなしをしてみようかと思います。

「歌うたいのバラッド」作詞作曲:斉藤和義

先日カバーさせていただいた斉藤和義さんの「歌うたいのバラッド」から。とても素敵な曲ですね。
さて、1番のサビと、最後のサビを比較すると浮かび上がる

短い"から"聞いておくれ「愛してる」
短い"けど"聞いておくれよ「愛してる」

同じ「愛してる」でも、短いことへの意味がかわるんですよね。そんな2つの「愛してる」の意味を考えてみると、私の中で2つの考えが浮かびあがりました。

1番の「愛してる」は告白説

1番の2人は幼馴染で、告白を1番の最後にしました。
付き合う前なので、短いから、少しでいいから聞いてほしい、「愛してる」と。相手の時間をお借りするわけですからね。
それから2人はお付き合いをするようになりました。
「愛してる」の言葉と、お互いの時間は2人のものになって、結果、「愛してる」の言葉が短かいのが、早く終わってしまって残念だな。と。
とても素敵な言葉ゆえの、残念。

最後の「愛してる」はプロポーズ説

こちらは1番では既に長い間お付き合いをしてます。でも主人公は照れくさくて「愛してる」の一言が言えません。そんな主人公が歌でその恥ずかしい気持ちを誤魔化しながら伝えます。恥ずかしさゆえの、短い"から"聞いておくれ。
そんな主人公が、最後は、ハッキリと言います。照れずに?どうして?
あの「愛してる」は、きっとプロポーズだったんではないでしょうか?

こんなふうに勝手に想像してみました。どちらも全然違うかもしれません。それに、答えって1つじゃなくてもいいのかなぁなんて、最近は考えたりします。もちろん、斎藤和義さんがどう考えているのかはすごく興味はあるのですが(^_^;)

こんな風に色々と考えてしまうのも曲の意思だったりして……



そういえば、国語のテストで回答するときに、出題者の意図することを回答しないといけないのがとても嫌な時期がありました。
先生が作る問題だと、どうしても先生自体が見えてしまうし、人読みして解くと卑怯なことをしてる感覚に陥ったり。文と自分を置き去りにする感覚も苦手でした。

そんなことは一切考えないで、文と自分だけを向き合わせる時間が好きでした。そういえば、一度だけ、絶対譲りたくなくて、自分の考えを書いて✔されてしまったのを思い出します。あのとき、もうちょっと柔らかく考えられれば良かったのに、なんて、今、振り返って思います。

以上、歌詞のはなしでした。

先日、「送る声」というオリジナル曲をYoutubeにUPしました。コロナ禍ということも関係してか、私にとっても、今回はいつもと違う気持ちで演奏させていただきました。もしかしたらそれも曲の意思なのかもしれません。

もう一つだけ。

すごく、歌詞の主張が強い曲を今、書いてまして……この場合の主張は、「歌詞を書く私」の主張ではなく、「歌詞」自体の主張のことです。
あまりにも強いその主張は、私の意思を跳ね除けて、私にこうしたいああしたいと、強い意志で訴えかけてきます。むしろ、勝手に形どられていきます。もうこれって作詞も作曲も私じゃないなと。

そんな訳で作詞作曲のクレジットを、その曲のタイトルにしたいんですけど、権利関係上難しいのかな……それも含めての表現として貰えるといいのですけれど……とても変な曲なので、完成を楽しみにしていて下さいね笑

なんて言ったら曲に怒られそう。

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