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橋PのPodcast「一橋大学を出たけれど」が色々すごいので、勝手に昔話を書いてみる

一橋大学の後輩で、TBSラジオの名物プロデューサー、
宇多丸さんや、ジェーン・スーさんの
番組を立ち上げたり、数々の番組を仕掛けてきた
橋Pこと橋本吉史さんが最近、独立し。

様々な企画を担当しているようなのですけど、
そのうちの一つ、Podcast
「一橋大学は出たけれど」がナイスで。

これ、なんと、一橋大学の公式番組だそうで。
来年の150周年に向けた企画だそうです。

↓これですね。
こちらはSpotifyのリンクですが、
Appleでも聴けますよ。
https://d.bmb.jp/9/1454/4591/13840

まさに、一橋大学を卒業したけれど、
母校やその仲間たちとの関係が
薄くなっている人たち、
如水会(卒業生組織)に入っていない人たちが
振り向く内容だなあと。

適度な悪ノリでナイスでした。

大学の課題と、打ち手も合致しているのですね。
コミュニケーション設計、ナイスですね。

現在の学長の中野聡先生は、
ラジオ大好きだそうで。
院生時代の友人は中野先生のもとで
博士号を取得し。いまは京大にいます。
懐かしいなぁ。

以前、TBSラジオの番組にもご出演されたそうで。
橋Pとはそのときに接点ができたようですね。

いや、すた丼や、油そばなどのネタだけでなく、
スーパーさえきなど、
超ニッチなネタが出てきて大爆笑でした。はい。

ちなみに就活の
「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」で
「スーパーさえき前でのナンパに力を入れました。
 国立市は、高級住宅街であり、
 旦那さんが単身赴任している方が多く、
 残された彼女たちにかわいがって頂きました」
とアピールをした奴がいました・・・。
大手広告代理店と、総合商社に内定しました。

第1回のゲスト、一橋大学出身の芸人さん、
中野なかるてぃんさんが
「進研ゼミで一橋に合格した」と
話していましたが、
「お、俺と一緒だ!」と思った次第です。はい。

他にも、サッカー関連のサークルの名前など、
一橋大学関係者でもそれほど
興味を持たないのではないのではないかと思う
ネタまで熱く語り倒すのは、ナイスでございます。

橋Pは、プロレス研究会の後輩で。
卒業後に出会ったわけですけど、
学生時代からぶっとんでましたね。
たまに、ライブやクラブに誘ったりして、
一緒に大暴れでした。
彼の学生時代のリングネームももちろん、
番組で紹介されていました。

一橋大学の魅力を広く伝える番組かと思いきや、
出身者、関係者向けのネタが満載で。
でも、その無駄な熱さ、狭さが、
広く伝わるだろうなというつくりでございます。

私もそのうち、声かかる、かな?
こういう、ひょうひょうとしてそうで
オファーを待ついじらしさが、
痛いなあと思う今日このごろです。

なんせ、あと数ヶ月で
『朝まで生テレビ!』が終わるので
「出演して、机を叩いて
 バカヤローと叫ぶ」という夢が終了するのです。
「出てやってもいいんだぞ」
という気持ちになっています。
いや、過去最高に出たいです。

それはそうと、この番組があまりにナイスなので
もう勝手に、
Voicyで大学時代の話をしようかな、と。

なんせ、大学時代の思い出としてよく語るのは
週7日ゼミがある
よく学びよく遊ぶ竹内弘高ゼミと
学内での乱闘から、デスマッチから
怪しい会報誌の配布まで一通りやった
プロレス研究会(プロ研)の日々ですが。

あえて竹内ゼミ、プロ研の話を手放して
振り返ってみると、
普通の(?)日々も楽しかったなあと。
アクの強い先生、講義があったなあとか、
同期も面白い人がいたなあとか。
藤の木のとんかつが好きだったなぁとか。

実は学生時代は、私はすた丼も油そばも、
ロージナのザイカレーも食べなかったなぁとか。

卒業してすぐの頃に、風俗店で働く
現役一橋大生のインタビューが写真週刊誌に出て、
国立市内で売り切れ続出だったなあとか。

大学の教員になって思うことといえば、
当時の先生たちは人間臭く、自由だったなと。

そして過剰に適当な人と、
当たりが強い人がいたなあと。

「先生はフランスに旅立ちました」と
突然職員から伝えられ当日、休講だったなあ、と。

大学に入って最初の講義が
今でいう「婚活」だったなあ、とか。

答案のフィードバックに
「お前は飼いならされている!」など
ヒップホップのdisメッセージみたいなことを
書く先生がいたり。

「自然科学史」というタイトルなのに
ずっとマンハッタン計画の話をし最後の講義で
「これで、今年のマンハッタン計画の講義を
 終わります」と言った先生がいたなあ、とか。

そういえば「政治学」というタイトルの講義が
1学期まるまる天皇と戦争の話だけで終わったなとか。

ひたすら『あしたのジョー』など
スポ根アニメを見せられ、講義がほぼなく
レポート課題もスポーツ漫画の感想文という
科目があって、『SLAM DUNK』
全巻読んだなあとか。

外国人英語講師による英会話の講義で
ずっと発言しない学生がいて。
しっかりバレていて、最後の回で
みんなの前で先生が糾弾し。
「日本人は物言わぬ国民になった」
「お前らは世界で孤立する」など
Fワード連発の大演説が続いたあとに
その学生は「不可」になったなあとか
(許せないのでプロレス研究会は
 リングに上がれと交渉しましたが、
 銃を持たない限り上がらないと言われ、
 「あいつは逃げた」と学内中にビラをまきました)。

1回も講義に出ずに単位がとれた科目の
課題図書がブラジルに移った日本人の話で
壮絶、強烈だったなとか。

そういえばアンナミラーズの店員があの制服で
ゲストスピーカーとしてやってきたなとか。
今でいう、エンゲージメントの話で、
制服がいかに役割を果たしているか、という。
際どかったなぁ、いや、アウトだろうとか。
なんでも、教員は、アンナミラーズの前で
出待ちをして、
「僕の講義に出てください」
とアルバイトしている方に声をかけたという。

そうそう、寮の連中による、
酔って走って津田塾に押しかける
イベント「ストーム」があったなとか。

柔道部と、尺八サークルのポスターが、
プロレス研究会に負けずに強烈だったなとか。
「シーズンスポーツサークルFlexWay」という
ポスターをみて、友人が電話をかけたら
「はい、柔道部です」と。
そうか、柔軟な道か、と。

プロレス研究会で酷いポスターを貼ったときには、
問題になったらしいのだけど、
『世間とは何か』『ハーメルンの笛吹き男』の
阿部謹也学長が「表現の自由である」と
守ってくれたらしいな、とか
(卒業後、20年以上経って知りました)。

下品といえば、学園祭の歌合戦で、
とんでもなく下品なことをした奴が
教職課程をとり、
いまは漁業に従事しているらしいとか。

商学部に移ってからは、
教員同士が講義でイジりあうという芸があり、
「いつも銀座で1杯2000円のビールを飲んでいる
 ◯谷先生が、“規制緩和”なんて叫んでも
 説得力がありませんよね!」
「中◯先生のご自宅は、
 マクロ経済の教科書が売れて建ったので
 マクロ御殿と言われているんですよ」
なんて話が教壇で飛び出したりし。

職員の皆様も強烈で。
人生で初めて聞いた風俗体験談は
職員の方に聞いた話で。

中央線沿線の風俗事情について、職員が
数回、プロレス研究会の会報誌に寄稿するという。
会社員時代の先輩「風神(風俗の神)」
以上の衝撃でした。

ゼミ、サークル以外にも
強烈な思い出がいっぱいでした。

これ、すごくないですか。

いろいろ「不適切にもほどがある」
案件だらけでしたが、刺激的でしたよ。

ここで、大事なのは
エピソードの数々は、
私がやらかしたことは少なめで、
全部、身の回りで起こったことだと
いうことです。

よく読んでくださいよ。
私は、身の回りで起こったことを、
メルマガ読者の方に、こっそり紹介している
だけですからね。

いや、やらかしたことは
ほとんどゼミかサークル関連で。

あとは、「少年法」という科目で
「親がいない子供は愛が足りないから犯罪を起こす」と
とんでもない意見を言い出した
弁護士志望の女性がいて
「僕は母子家庭出身だぞ、
当てつけで言っているのか。
そんなに簡単に一般化できるのか。
僕は犯罪を起こすというのか」
と大暴れして、講義を完全に壊してしまって
教員や他の学生を困らせてしまったことと、
アパートの隣の部屋にいつも交際相手がやってきて
声が気になって、迷惑だったので
壁に向かって
「昨日とは、違う相手だ!」
と叫んだら、まるで停電したみたいに
静かにしてしまったことくらいですね。

いや、これだって
私は、悪くないんですよ。
巻き込まれている、だけなんですよ!
そんな暴論を言い出す
弁護士志望の割には社会を知らない学生が悪いんですよ。
隣の部屋の住人が勝手に交際相手を部屋につれてくるからですよ。
若い頃のセックスなんて何回やったって無駄なのに。

気づけば、私は、ゼミやサークル
とくにサークル以外では、いたって真面目に
過ごしていて。
内地に出るのが夢だったのに、平凡だな、私と
猛反省していたのでした、日々。
いまも、数ヶ月に一回
「自分はなんて普通なんだろう」
「面白くない奴なんだろう」
と反省します。

「大学生活」「大学時代」を振り返るときに、
実はキャンパス以外の話も多いわけですよね。

私、20歳から30歳になるまで、
立川→大山→小岩
(リクルートの寮があったことがきっかけ)
→今池と繁華街に住んでおり。

なかでも、大学2年の秋に自分でお金ためて
小平市の大沼町というところから、
立川市錦町2丁目という当時は繁華街、
いや歓楽街だったエリアに引っ越し、
2年半暮らしたことを思い出し。

一橋大学の日々も楽しかったですが、
この日々も強烈でしたねえ。

立川駅から徒歩5分で。
帰宅するまでにキャバクラ、風俗の客引きに
5~7回は遭遇して、
キャッチのボーイも、肌の露出が多い女性も
振り払って帰宅したなとか。

徒歩30秒~1分以内に競馬、パチンコ、雀荘、
アダルトショップ、ブルセラショップ、キャバクラ、風俗、
サラ金があるという強烈なエリアでした。
昔の言葉でいうと、
「飲む、打つ、買う」
さらにはそのために借金という
エコシステムが間近にあり。

当時は路上喫煙もOKで
週末は競馬新聞を片手に
煙草を吸いながら歩く人だらけでしたね。

部屋にホームレスがやってきたこともありました。
あ、木造2階建てで駅徒歩5分
オートロックはもちろんなし、
日当たりなしで家賃5.1万円でした。

中学時代に読んだ村上龍の
『限りなく透明に近いブルー』を思い出し。
私も村上龍に近づいたと無駄に興奮していました。

今、蒲田、川崎、五反田が近い
大田区に住んでいるわけですが、
いつもこれらの街を通るたびに、
「あぁ、懐かしいな」と思うわけです。

立川時代は、最初はすれ違う人みんなが
「最低の大人だなあ」と思っていたわけですが、
徐々にそこから生きるエネルギーを感じたり。

そんな立川にわざわざ友人たちが
男女問わず遊びにきてくれて。
ディスカウントストアのトポスで買った
安い肉、酒で鍋パーティーを
何度もやったことが忘れられません。
「俺はここから這い上がってやる」と
無駄にいつも思っていた時代でした。

大学2年生から卒業するまで、ここで暮らすと
そりゃ、価値観も変わりますわ。
よく大学の先生や
経営者が学生に説教する
「いましかできないことをして
視野を広げてください」
をある意味、徹底的に実践しました。

アパートでは一応、真面目な本を読み漁り。
この街から、一橋大学に通い、
大学では真面目な話をし。
その振れ幅が好きでした。
こういう振れ幅は、私の原点ですね。

というわけで、番組としても面白いのですけど、
大学業界の中の人的には、
画期的な大学のPR手法だなと思った次第です。
このメルマガを読んでいる
一橋クラスタだけでなく、
大学関係者も注目の取り組みだと思いますよ。
ぜひ、チェックを。

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