見出し画像

ある雑誌での失敗談をゆるく語ってみる。

編集者になって2年目の夏、いきなり『編集会議』という雑誌を任されることになり、その後3年にわたる戦いの記録をnoteに書いてみた。

ありがたいことに当時の読者がたくさん反応してくれた。

あの、校了をぶっちぎってもファミレスで徹夜しながら唸っていた夜を思うと、もうすべての反響に感謝しかない。

でも、あの記事で書いたコンテンツ戦略はあくまで結果としてうまくいった話であり、それが光だとすれば、その影には語り尽くせないほどの失敗があった。

人はついつい思い出を美化してしまうし、失敗は忘れ去られやすく語られることもほとんどない。だから「こうしてうまくいった」という話を書いた以上、「こうして失敗した」という話も書こうと思う。

前回の記事はめちゃくちゃ気合入れて書いたけど、この記事は「これ書いちゃっていいかな……まあ、いいか」とか思いながら、ゆる〜く書いてみたい。

無知がゆえ激怒された話

ゆる〜くと言いながらいきなりガチな話だけれど、あるジャーナリストにあるテーマで寄稿をお願いしたときのこと。

もともとすごく尊敬していたジャーナリストだったから、とにかく丁寧な依頼状を作成して、丁寧にメールで依頼をした。

メールをお送りして数時間後、「テメェこの野郎、こんなクソ依頼、無礼極まりねーだろ!ふざけてんのか!」といったニュアンスの返信があった(あくまでニュアンス)。

まったく想定外な返信の上、先方の怒りがメール文面からもありありと伝わってくる。それを見て僕はしばらくフリーズしてしまった、「編集者人生終わった……」と思いながら。

いまにして思えば、怒られるのは至極当然だった。なぜなら、数千字に及ぶ原稿を短納期かつありえない薄謝という、ただただ無礼な依頼をものすごく丁寧にお願いしてしまっていた。

でも当時は、指摘されてはじめてそれが「無礼」だと気づいた。

誌面では偉そうに「コンテンツにきちんと対価が支払われるにはどうすればいいのか?」なんて問題提起しながら、実は僕自身が対価の妥当性を知らず、無知が一人歩きして問題を生み出す張本人になっていた。

相手からすれば僕はプロの編集者だし、若いとか悪い気はなかったとか関係ない。やはりプロの現場における無知は罪だ、と痛感した出来事だった。

幸いにしてそのジャーナリストは直接会って謝ったことで許してくれたし、その失敗は早めに経験したことで被害は最小限にとどめられた。

とはいえ、先輩編集者に聞けば済むことを無闇に一人で突っ走しろうとしていた当時の僕は、ひどい編集者だったなと思う。

ボツになった企画たち

失敗というか、渾身の企画がポシャったことならいくらでもある。

2016年当時イケイケだった『週刊文春』編集長が色々な人と対談する企画を立てて、永遠のライバル誌だけど圧倒されていた『週刊新潮』編集長に依頼したら「それ、うちメリットないじゃん」と一蹴され(たしかに)、文春編集長たっての希望でセッティングした『VERY』編集長との対談は取材直前に発売された『週刊文春』が『VERY』のモデルさんに文春砲を放ち、当然のごとく断られた(それを伝えたときの文春編集長の反応が「あーあ」だった)。

それと『編集会議』は毎号、話題の人や著名人が登場する巻頭インタビューという目玉企画があり、最後の担当号では僕が人生で最も影響を受けた沢木耕太郎さんの「『深夜特急』、31年目の告白」という、何が『編集会議』と関係あるのかよくわからない企画を満を持して打診した。

ある出版社の編集者を通じてのやりとりは好感触だったけど、沢木さんはアメリカにいて帰国日が未定、取材を受けられるかわからないという。どうしても沢木さんに取材したかったから浮気はしないと固く決意した。

だけど結局その賭けに負けて、最後の号では雑誌の目玉でもある巻頭インタビューなし(!!!)という僕的には衝撃的な展開になった。

それ以前の号の巻頭インタビューには、個人的にとても興味を持っている荒川良々さんに毎号のように取材依頼していたけどダメだった。とにかく取材したいという不純な動機で、あまりにもこじつけな企画だったからかもしれない。

だけど、ある人から「どんな企画であれ、なんだかんだ実現させてしまうのが良い編集者じゃないか」と言われたことがあり、本当にそうだなと思う。

編集者をやっているとわかるけど、企画の辻褄なんて後からいくらでも合わせられる。むしろ破茶滅茶な企画でも、最終的にうまいことコンテンツに落とし込むことこそ編集者の仕事だ。

だからもっとぶっ飛んだ企画をやっていればなと、いまこうして後悔しているのが最大の失敗だったのかもしれない。

雑誌の失敗と言えば……

誤植……と、戒めも込めて何度でも自分に言い聞かせたい。

誤植に関しては『編集会議』でも「編集者たちの誤植論」という特集も組んだくらいに、問題意識というか思い入れが強い。

いずれAIが誤植を撲滅する日が来るのかもしれないけど、当面は以下のような『編集会議』の記事も色褪せないと思う。

画像1

校正・校閲の重要性は至るところで語られ尽くされていながら、それでも不死身なのが誤植だ。

僕も、ある編集長の記事でプロフィールの生まれ年の1969年が1669年になっていてTwitterで「戦国武将??」と突っ込まれたり、記事内の「プロモーション」がすべて「プロモショーン」になっていたりとか、語弊を恐れながら言えば、そんな小さな誤植は何度かやってしまった(大きな誤植は絶対に書けない)。

ただ『編集会議』の誤植の特集は、実は誤植を多発させていた後輩に向けてつくったものでもあった。

掲載号の発売後、その後輩が「この誤植特集、なんか救われます、エヘヘ」と言いながら、その翌月号でまた誤植を連発し、今度は神妙な面持ちで「よければ次の誤植特集で使ってください」と言ってきたときは何とも言えない気持ちになったのだけど。

それと、編集者の敵は誤植だけではない。

いきなり他誌の話を持ち出して恐縮だけど、僕は書店に行くと『Number』がサッカー特集であれば立ち読みするのだけど、昨日読んでいたら最新号「久保建英、18歳の冒険」特集でそれなりに大きいミスを発見した。

簡単に言えば、アトレティコ・マドリード時代のファンフランという選手の写真が、ゴディンという選手の写真になっていて(たしかに2人は似ている)、スペインサッカーに疎い僕でもすぐに気づいた。

サッカーを知らない人にはよく意味がわからないだろうけども、とにかく写真が間違って掲載されていて、『Number』読者としてこんなミスを発見したのは初めてだったけど、『Number』ほどの雑誌でもこんな失敗があるのかと、とてもほっこりした気持ちになった。

取材はムズかしい

なんか書きながら「これ、書く意味とか公開する意味あるかな?」と思い始めているけど、とりあえずもう少しだけ書いてみたい。

前回のnoteでは、それなりに戦略立ててやっていたと書いたけど、最初の頃はなんとなーくで企画を立て、「この人面白そう!」と思った人に取材していて、そこに大した戦略はなかった。

でもだんだんと同じ人が違う媒体で同じような話をしているコピペ記事が世の中には多いなと問題意識を持つようになり、そんな記事を量産している一人が自分だと気づいた。

聞き手の引き出しす力でいくらでも差異化は図れるはずだとはいえ、残念ながら僕は取材が得意と言えるほどではなかった。初めて会った相手に対して1時間程度の間に打ち解け、いきなり核心めいたことを聞き出すのはものすごく難しい。

その引き出し力がすごいなと思っていたのがやっぱり箕輪さんで、2015年に取材したときに「インタビュー中に100聞けたとしても、原稿になると80になる。だから削られた結果としても100になるように、インタビューの場では120まで踏み込んでエグいくらいに聞いたほうがいい」と言っていた。

ちなみに、その箕輪さんが前回のnoteでこんな反応をしてくれたのだけど、優秀と褒められるのはくすぐったいので一言だけ言っておきたい。

最後の担当号で箕輪さんの7ページぶち抜きのインタビュー記事をつくったとき、これまでの著者から「箕輪評」としてコメントを掲載しようと何人かに依頼しようとしていた。

そうしたら箕輪さんが「どうせなら全員からもらおうぜ!」と言い出し、箕輪さんが自分で依頼するという。

「編集者の天才」とか「時代に求められる編集者」とか「箕輪さん愛してます」とか、自分への褒めコメントを自分で回収する箕輪さんの編集者としてのスケールのデカさと、それを「ありがとうございます!」と受け取るだけしかできなかった僕という編集者、いや人としての小ささは思い出の一つでもある。

◆ ◆ ◆ ◆

誰の役にも立ちそうになく、失敗談としても壮大さに欠けた地味な記事のような気がするけど、これが(書ける範囲での)僕の失敗の限界だった。

ただこうした失敗ができたのは、若いうちから否応なく打席に立つ機会があったからだ。

『編集会議』のコンテンツづくりは一人でやっていたわけだけど、より正確には一人でやらせてくれていた、その環境があったんだなといまは思う。

ただやっぱり失敗を思い出していると、ケースによっては申し訳ない気持ちが蘇ってくる。失敗を語ること自体には意味があると思うけど……。

ちなみに、この記事、ほぼ勢いで書いたから、「これ、やっぱり書いた意味とか公開する意味あるかな?」と最後にまた思ったのだけど、書いちゃったから仕方なかった。

Twitterはこちら

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

読んでいただき、ありがとうございます。もしよろしければ、SNSなどでシェアいただけるとうれしいです。