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「震災から●年…」を編集すること

3月11日を迎える時期になると、毎年、震災関連の報道が続く。2018年の今年も、今日までにあらゆるメディアで「震災から7年…」という文言を頻繁に目にした。

いまも7万人以上の人が避難生活を強いられ、数字には見えない過酷な現実が、報道されていること以上にたくさんある。

一方で、震災関連の話題に対して多くの人が関心を失っていることは否めないし、正直、年を追うごとに自分もその一人だと認めざるを得なくなっていく。

「あの震災は一体何だったのか」「何がどのように変わってしまったのか」「被災した人たちの現在」「同じ過ちを繰り返さないように」……

「関心を持ち続けないと…」と思うほどに、「震災から●年…」という文言を無意識に遠ざけてしまう。そうしたギャップは年々さらに広がっていく気もしている。

言うまでもなく、風化しつつある物事に対する関心を再び喚起することは難しい。とはいえ「難しい」で終わらせちゃいけないのが、自分を含めたメディアに携わる人の責務でもある。

そのためには、「震災から●年…」を編集することが必要なのだと思う。

「編集すること」というのは、報道で震災にまつわるたくさんの事実が伝えられる一方で、それを「伝わる」ようにすることだったり、積み重なる年月を通じて震災をどう解釈すればいいのかを提示したりすることなのかなと思う。

報道を通じて伝わるべきは、震災、被災地、そして被災者を「忘れないこと」だし、「未来への教訓」という側面もある。あるいは「現在進行形の社会問題」である認識を社会で共有することだ。

そこには、当事者やそれに近い人たちが「震災から●年…」だからこそ話せることがあり、それ以外の人でも「震災から●年…」でなければ感じられないことがあるからだと思う。

そんなことを考えながらこれを書いていたら、佐藤ねじさんが仕掛けたこんな企画があることを知った。

何気ない言葉によって「日常」と「非日常」の境目を描くことで、震災が実は誰にとっても身近な現実だったことを物語っている。

同時に、2011年3月11日を忘れないために、思い出すために、そして未来に備えるための企画になっているのがすごい。

「日常」と「非日常」という軸だけでなく、いまなら言葉によって「関心」と「風化」といった軸でもその度合いが測れるといった応用性もある。

いまの時代、編集者が編集すべきは原稿だけではないからこそ、情報を編集して「伝える」を「伝わる」に変換するという意味で、編集者はクリエイターであり、クリエイターもまた編集者なのだと思った。

もちろん「伝わる」ことが、必ずしも「関心」につながるわけではない。でもまずは、関心の入口をつくることが必要であり、こうした震災のような社会問題を編集して世の中に届けられる編集者でありたい。

そして何より、そうして発信される情報が空虚にならないためにも、まずは自分が関心を失いつつあるとか言ってちゃいけないなと、『リスクと生きる、死者と生きる』を読みながら思っている。

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