そんなつもりじゃなかった
なにか、あるテーマについて、「当事者」視点から語るのは、「説得力」という点において、ある種の強みと弱みを併せ持っていると思います。
強みというのは言うまでもなく「当事者性」。当事者視点から語ることによって、内容の真偽に関わらず、当事者以外の語りを牽制できます。
「だって、経験したんだもん」は、経験していない人にとっては厄介な意見で、経験したこと自体を根拠にしているからこそ、言ったもん勝ちになりやすいという強さがあるでしょう。
逆に、その当事者性のみに頼って発言してしまうと、当事者同士の対決には容易に勝利できない。これが弱みです。
「だって、経験したんだもん」は「俺も経験したけどそうじゃなかったよ」に真っ向から勝負できず、どっちが本当かを争った場合、発言者の「信用性」によって決着がつくと思います。
なにが言いたいかというと、当事者が当事者たることを理由に発言や行動するのであれば、当事者性を利用していることに、とにかく自覚的であるべきだということです。
当事者でない人を説得するために、当事者性というのはとても大きなアドバンテージです。「経験した人が言っているんだから…」というのは、侮れないくらいに大きな力で、簡単な推測や論理をぶち破っていく可能性があると思っています。
経験をしていない人は、経験をした人の経験自体には言い返すことができません。経験した側がそれをしっかり踏まえずに、自分の経験を振りかざしていれば、とんでもないことになってしまうと思います。
経験というのは、コミュニケーションをとる上では立場に置き換えてもいいと思います。立場の差を利用して相手を説得しようと試みるのは、ときに「ズルく」うつることもあるでしょう。
つねにハラスメントの可能性をはらむ現代のコミュニケーションにおいて、「そんなつもりじゃなかった」なんて、いつか言えなくなってしまうのでしょうか。
山脇、毎日。