新しい視点は、たからもの

【疑問をもつことについて】

さいきん、あらためて問題や課題を見つけるむずかしさを感じています。ぼく自身、毎日大量のニュースを浴びる中で、たいていことについては、他の誰かが考えた、「これが問題だと思う」という視点に沿って思考しているにすぎません。

用意された問題に対してYes or Noで答えることと、自分で問題を設定することは、まったく別の作業だと考えているのです。いまの世の中で社会課題とされていることを多く知っているのは、それはそれですばらしいことなのだけれど、ただそれを知っているだけで満足してしまっては、問題を見つけ出す力はつかないんだと実感しました。


問題と言われていることしか、問題と思えない

「Xという社会課題があり、現状の解決策としてはA案とB案があります。ただしこの2つはトレードオフの関係にあり、妥協してC案を出さなければならないかもしれません。あなたにとってはA案を主張するのが妥当かと思いますが、いかがでしょう。」

世の中の多くの問題はこのように、意外とシンプルな形でぼくたちに提案をしてきています。複雑すぎる問題をわかりやすく整理してくれているのは大変ありがたいのですが、さもその問いが真であるかのように安易に受け入れてしまうと、選択をするだけの人間になってしまいます。

もちろんこれは問題を設定してくれた人を批判するものではなく、受け取る側きちんと意識しないといけないよというのを言いたいだけです。

では、いったいどれだけの問題に対して、「X→A or B or C」の流れを疑い、自分なりの別の問いを立てられるのでしょうか。


どうでもよくないことは、自分で決めるんだぜ

「ほんとにそれは問題なのか?」「問題と思っているのは自分だけじゃないのか?」問題とされていることを突き詰めて疑っていくと、頭の中がぐるぐるぐるぐる、どこまで考えてもキリがないでしょう。

けっきょく最後にいきつくところは、「自分が大切にしたいものはなにか」であり、「なにに対して全力で取り組めるのか」ということでしょう。

重要なのは”自分”が思うということで、”自分の考えを信じる”ということです。


みんなが全力を出せる環境こそがなにより尊い

ぼくたちはいま、「国内ジーンズ産業の縮小」という、自分が問題だと思い自分が人生を捧げられるということについて取り組んでいます。

「日本のものづくりが衰退しているのって、ほんとに社会問題なの?」「自分たちがジーンズが好きなだけなんじゃない?」とよく言われますが、本当にその通りです。

ただ、自分たちが誰よりもジーンズが好きで、日本が好きで、ジーンズを通して社会に貢献したいと考えており、ジーンズや職人愛を信じているからこそ、いまこうやってブランドを運営しているのであって、それが万人にとって真であるとは思っていません。

このように、みんながそれぞれの関心に沿って、人生において一つでもいいから、なんとなく人の意見に賛成したり反対したりするのではなく、課題を設定し解決に動くプレイヤーになる環境が整うことを切に願います。

関心があることについては、従来の問いを疑い、自分で作ってみてもいいんじゃない。という話でした。

山脇、毎日。