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石川淳「焼跡のイエス」の華麗なる文体!

 石川淳「焼跡のイエス」は昭和21年の上野が舞台。戦後間もない物資不足の中、闇市に現れる一人の少年。主人公が彼にイエス・キリストの姿を重ね合わせるという短編小説です。
 戦後の混乱の中を必死に生きようとする少年にイエス・キリスト=救済を見出す、というような小説、そしてなんと言っても素晴らしいのはその文体なのです。

 炎天の下、むせかえる土ほこりの中に、雑草のはびこるように一かたまり、葭簀がこいをひしとならべた店の、地べたになにやら雑貨をあきなうのもあり、衣料などひろげたのもあるが、おおむね食い物を売る屋台店で、これも主食をおおっぴらにもち出して、売手は照りつける日ざしで顔をまっかに、あぶら汗をたぎらせながら、「さあ、きょうっきりだよ。きょう一日だよ。あしたからはだめだよ。」と、おんなの金切声もまじって、やけにわめきたてているのは、殺気立つほどすさまじいけしきであった。

石川淳「焼跡のイエス」

これが冒頭なのですが、一文の長い、読点を多用した文体が独特のリズムを生み出しているんですよね。漢字を開いて、かなを用いている部分が多いのも特徴的な気がします。
 これが読み進めると実に曲線的な雰囲気で心地よくもあり、一方で簡単に読み飛ばせない引っ掛かり、緊張感もある独自の文体を確立しているといえるのです。
 さらに、この石川淳の文体は後世の作家にも影響を与えているのですが、特にそれが色濃く表れているのが野坂昭如と町田康ではないでしょうか。 
 たとえば野坂昭如はこんな感じ。

 釜ヶ崎には、さまざまな、いわくあり気な人間がいる、三角公園を朝掃除する婆さんの一人は、見事なざあます言葉つかうし、隣りの爺さんだって飯を食べる時の、机に置くその箸のそろえ方が見事で、茶の心得がうかがわれる、元陸軍少将の拾い屋もいれば、大会社の技術部長が傷もの陶器の売り子をやっていたし、ここへ来ればすべて一つ釜の仲間だが、よく見るとそれなりに、風格のうかがわれるもので、だが俺の両親のかわり方は、とてもこれが同じ人間とは思えないほどだった、俺が感じ易い年頃だったからそうみたのか、あるいは俺は兄に嫉妬していたのか、およそ冴えない男だった兄が、一躍有名になり、なにかにつけて引き合いに出され、その屈辱感が、両親のふるまいにけちつけさせたのだろうか。

野坂昭如「紀元は二千六百年」

 それからさらに時代を下った町田康の小説は、

 まあ、はっきりいってそのときも自分は、ソファーに座らされた彼が、浜崎の刃物をちらつかせつつの悪口雑言、罵詈誹謗にプライドをずたずたにされ、真っ青になってぶるぶる震えているのを、はは、おもろと思いつつ、まあ極道者のちんけな真似だ、脇で強面でもってびびらせる役、なんてのをやったものであるが、しかし浜崎、当人の前ではいろいろ狂気的な振りをしてはいたが、きゃつが来る前はふたりして作戦を練るなどしたし、蹌踉としてきゃつが帰った後は、「やつのざまあったら、なかったな、いまにも小便をちびりそうな顔をしていたじゃないか。あはは。溜飲が下がった。これというのも君が脇にいてくれたお陰だ。ありがとう」なんてへらへら笑っていて比較的正気で、昨夜のような訳の分からぬ状態ではなかったのである。

町田康「屈辱ポンチ」

どちらも読点が多く、また一文が長いという手法が共通していますよね。とくに町田康は近年、石川淳の「マルスの歌」という小説のタイトルを引用した「令和の雑駁なマルスの歌」という作品も発表しています。
 これ、なかなか、真似をしようとしてもそんなに簡単ではない、というのは、もともとこのnoteの記事は、こんなふうに石川淳の文体を模倣して、作ろうとしたのですけれども、わたしがやるとただ読みづらくなるだけ、石川淳は和漢の古典や、「焼跡のイエス」でイエス・キリストに言及しているように西洋の文学にも通じていて、それに裏打ちされた知性がこの文体を導いているのであって、それをただ形だけまねてもどうにもならない、ということがはっきりとわかったので、それだけでも、この記事を作ってよかったと思いました。

 というわけで、石川淳の「焼跡のイエス」、講談社文芸文庫で読めますのでぜひ野坂昭如や町田康の諸作品とも読み比べてみてくださいね。


 『焼跡のイエス・善財』(石川 淳,立石 伯):講談社文芸文庫|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)

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