石川淳「焼跡のイエス」は昭和21年の上野が舞台。戦後間もない物資不足の中、闇市に現れる一人の少年。主人公が彼にイエス・キリストの姿を重ね合わせるという短編小説です。
戦後の混乱の中を必死に生きようとする少年にイエス・キリスト=救済を見出す、というような小説、そしてなんと言っても素晴らしいのはその文体なのです。
これが冒頭なのですが、一文の長い、読点を多用した文体が独特のリズムを生み出しているんですよね。漢字を開いて、かなを用いている部分が多いのも特徴的な気がします。
これが読み進めると実に曲線的な雰囲気で心地よくもあり、一方で簡単に読み飛ばせない引っ掛かり、緊張感もある独自の文体を確立しているといえるのです。
さらに、この石川淳の文体は後世の作家にも影響を与えているのですが、特にそれが色濃く表れているのが野坂昭如と町田康ではないでしょうか。
たとえば野坂昭如はこんな感じ。
それからさらに時代を下った町田康の小説は、
どちらも読点が多く、また一文が長いという手法が共通していますよね。とくに町田康は近年、石川淳の「マルスの歌」という小説のタイトルを引用した「令和の雑駁なマルスの歌」という作品も発表しています。
これ、なかなか、真似をしようとしてもそんなに簡単ではない、というのは、もともとこのnoteの記事は、こんなふうに石川淳の文体を模倣して、作ろうとしたのですけれども、わたしがやるとただ読みづらくなるだけ、石川淳は和漢の古典や、「焼跡のイエス」でイエス・キリストに言及しているように西洋の文学にも通じていて、それに裏打ちされた知性がこの文体を導いているのであって、それをただ形だけまねてもどうにもならない、ということがはっきりとわかったので、それだけでも、この記事を作ってよかったと思いました。
というわけで、石川淳の「焼跡のイエス」、講談社文芸文庫で読めますのでぜひ野坂昭如や町田康の諸作品とも読み比べてみてくださいね。
『焼跡のイエス・善財』(石川 淳,立石 伯):講談社文芸文庫|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)