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決まった展開をおもしろくするしかない

時系列と物語の関係は、創作を試みる人たちの中で散々、議論されてきたと思う。
以前にも書いたが、論文、少なくとも生命科学系の論文では、実験を行った時系列順に結果が記述されることはほとんどない。

例えば、「病気Aの原因遺伝子Bを見つけた」という内容の論文は以下の順番で書かれる。

序論 病気Aは重篤な疾患であり、原因の解明が望まれている
結果
1 病気Aの患者のゲノムを調べたところ、遺伝子Bに変異(異常)が見られた
2 遺伝子Bが機能しないマウスを作製したら、病気Aの(に似た)症状が出た
3 遺伝子Bが機能しないマウスの肝臓には物質Cが過剰に溜まっていた
4 物質Cを体内から除くと病気Aの症状が改善した
結論 遺伝子Bの異常により物質Cが溜まり、その結果、病気Aを発症することが分かった

多くの研究者はこの流れが「科学の物語」の順番だと思っている。
科学の論理の中で、因果の「因」を書いてから「果」を書く。
一般には、主に人間の言動に見られる因果を記述したものを物語と読んでいると思うが、物語の指すところを拡張すれば、科学にも物語があると言える。

ちょっと言い訳めいたことを書いておくと、ここでいう論理や物語は哲学由来だから、当然、科学の専売特許ではない。
哲学者が作ったものを利用しながら、研究を進めて世界を理解するために少しずつ改善した結果が、科学の物語の型として受け入れられている。
だから、他の領域で使われている物語の型と共通点があるにちがいない。

さて例に戻ると、そもそも、この論文の著者は病気Aの原因が知りたくて研究を開始していないかもしれない。
なにか別の理由で遺伝子Bに興味を引かれたのかもしれないし、肝臓で作られたり分解される物質を調べていく中で物質Cと出会い、そこから研究を始めた可能性も十分に考えられる。

物質Cを分解する遺伝子を延々と探し続けて遺伝子Bを発見し(最近は効率のよい方法がたくさんあるけれどそれでもかなり大変)、それから遺伝子Bについての情報を集める。
次に、研究用のリソースとしてどこかのデータベースに保存された大量のゲノム情報をダウンロードしてきて、一生懸命、遺伝子Bの変異がないか調べたら、病気Aの患者に多く見られた。といったように。

論文の順番とは全く逆だ。
しかし、病気の原因を知りたいという目的があり、段々と細かい原因を明らかにして目標へと近づいていく方が、「合理的」に感じられる。
もっと言ってしまえば、王道の論理展開に乗っかった方が書く方も読む方もスムーズだ。
面白いかどうかを気にしなければ、小説だって繰り返し使われてきた展開の方が読みやすい。
書いていて気がついたのだけど、論文に展開の新しさは求められない。
ある程度、決まった物語形式しか認められていないからだ。
フィクション世界の中では敵にあたる、科学的に解決すべき問題や目標、あるいは登場人物である物質や現象の新しさ、関係の意外性で興味を持ってもらわなければならない。
物語の構成や構造ではなく、中に入れる設定やキャラクターの魅力で勝負する。
ストーリーの飛躍も使えない。
あくまでも理屈だっていなければいけない。
設定のぶっとんだSF作品や、キャラクターの熱量で論理破綻しながらも話が進行していく物語をわたしが苦手としているのは、きっと科学の物語に囚われているからだ。

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