見出し画像

フィクション的現実と現実的フィクション

同じくらい強いキャラクターを漫画で登場させたらやりすぎだってボツにされるぞ、というフレーズが必ず出てくるほど藤井二冠は強い。
現実がフィクションを追い抜いた、みたいなことだ。
フィクションは想像の産物なので、現実には思いもつかないことを表現できると思っているからこそ、この逆転現象をあらわずフレーズを楽しめるのだと思う。

ところで、数学には曲がった空間を記述する分野がある。
リーマン幾何学というらしく、平行な直線を伸ばしていくとお互いに交わってしまうような空間を表現する。
ふつう、どこまでいっても交わらないから平行というのだ。
「この話し合いは平行線ですね」などと、慣用句になるほど平行は交わらないのが常識なのに、数学が進歩していく中で現実を離れた抽象的世界を扱う分野が生まれた。
常識的な感覚を拒み、理性と論理で一歩一歩、非直感的世界を歩いていく様子はいかほどの苦労があるのかと気が遠くなる。

他に非現実的な例をあげるとすれば、虚数だろう。
もっともよく使われている非日常的な数だと思う。
別に専門的な数学ではなくとも頻出する。
オーディオ機器のイコライザーなど、周波数スペクトルを計算するために使われるフーリエ変換にも虚数が使われているし、そもそも高校で習う。
虚数と対になるのは実数。つまり普通の数だ。
数直線上には、小さい数から大きな数までゼロを挟んでびっしり並んでいる。
ずっと小さくしていけばマイナス無限大で、ずっと大きくしていけばプラス無限大。
この数直線の上にある数が「実数」で、これはある程度まで感覚的に理解できる。
しかし虚数はそれと直交する直線上にある。
普通に考えられる数と直交するというのはちょっと意味のわからない数だけれど、まあそういうものだと思っていてほしい。

これら、非現実的、非直感的な数学的表現は、一種のフィクションだ。
もちろん適当でいいというわけではなく、論理的に、数学的に正しくなくてはいけない。
けれど、日常で扱う数を超えて、抽象的に拡張していった先にある。
しかし、これがある日、現実世界とリンクする。
リーマン幾何学は、アインシュタインが相対性理論を作り上げるときに必要とした数学だというのは有名な話だ。
つまり、平行な線が交わってしまうような歪んだ空間を表現する数学が、実際にこの世界を理解するために必要だったということだ。
実際に、動いている物体は進行方向に圧縮されて見えるし、時間は遅くなるし、ものが存在するだけで周囲の空間は歪むらしい。

『りゅうおうのおしごと!』というライトノベルがあって、主人公は現役高校生で竜王のタイトルを持つ棋士だ。
高校生で竜王のタイトルをとった棋士はいないので、この主人公はあくまでもフィクション的ケレン味のある強すぎるキャラクターだった。
それが、藤井聡太二冠は高校在学中に二つタイトルをとってしまったのだ。
竜王のタイトルではないので、厳密にいえばまだこの主人公はフィクションなのだけれど、もう誰もやりすぎの設定とは言わない。

現実世界を明らかにするためにある物理学と、抽象的世界を拡張する数学とのどちらが先行するかは場合によるらしく、物理現象を表現するために数学が生まれることもあるし、既存の数学を用いて物理法則を記述することもある。
それはまるで、現実とフィクションとが、世界と人間の想像力がイタチごっこをしているようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?