読書感想文: 川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社, 2024年6月)

川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社, 2024年6月)

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という本を読んだので、雑感を書いておく。


数ヶ月前に本書の出版予告とそれに併せて目次が出た時点で、(ケネディクス社との接点が比較的多そうな)不動産業者の界隈でも、局所的な盛り上がりを見せていた記憶がある。同書がKDXの元社長の自著であるという事実もさることながら、目次の一部が非常に独特だったことも、耳目を集めた理由にあったと思う。例えば、第3章は「イケイケの時代」と名付けられており、30p以上も「イケイケ」で乗り切るということになる。更に細かい章立てを見ても、「誰か金くれ!」(4章)とか「友の会社が昇天」(同前)など、悲惨な事態が起きるはずの箇所についても、どこかあっけらかんとした名前がつけられているのだ。とかく物書き(とその作品)には陰や暗さというものがつきまといがちだと思うのだが、こと本書については章節の見出しからして、そうした湿っぽさを感じさせるところがない。書籍の端から端まで「陽キャ」っぽさが全面に出ている。

金融業は業務の特質上、繊細であり法制度にも厳格なイメージが持たれがちだ。その一方、不動産と世間一般にいえば、清濁併せのむ、豪放磊落な雰囲気を抱かれがちだと思う。両社は気質で言えば正対するところにあると思われるが、この2つの業界の結節を果たしたものが不動産証券化というアイデアである。この不動産証券化が現代の不動産金融(あるいはそれぞれの業界)に及ぼした影響というものは、ここに記すまでもないほどのインパクトであったが、筆者の川島氏はその不動産証券化のパイオニアであったという。
証券化の第1号案件であるとされる99年の川崎テックセンターにおけるYK-TKスキームを用いた取引から本書の物語は始まり、2章ではやや遡って1990年ごろからのバブル崩壊とそれに伴う企業による不動産売却の進展を信託銀行社員としての視点から描き、更に3章以後では2000年から2008年までの不動産ファンドの隆盛(3章)、リーマンショックにより訪れる企業の存続に関わる数々の危機とその克服(4章、5章)をケネディクス社の社員という視点から記している、という構成になる。

本書は表題からすると、ライトな経済分野の伝記本と思われがちであろう。しかし、実態としてはむしろ、出版社の書籍紹介の最下段に記載されている、「不動産業界に興味のあるビジネスパーソン、就活生は必携の一冊」という一文こそが実態に近いように感じた。本書の構成は、前述したような業界における不動産取引の歴史の大河というよりも、不動産の証券化ビジネスについて、ケーススタディを通じて学ぶという側面が強いように見受けられた。具体的には、不動産1章が「不動産証券化とは?」というSPCを用いた不動産取引の基本的な概要の説明だ。続く2章は「企業(オリジネーター)とCRE戦略」を主軸に記述して不動産証券化の進展した社会経済的背景の紹介である。3章では、ファンドレイジングあるいはファンドの収益モデルやデューデリジェンス(大阪のバルク案件)に関する実例付きの開設をしている。そして、4章と5章では筆者が社員へ送信した経営方針をつまびらかに示すメールとそれに対する返信の転載、それと主に資金調達の実例の紹介を伴う案件に関する記載を通じた、「不動産ファンドのビジネスモデル」の幅広さを示している。基礎から応用まで、不動産証券化の特性を理解するための教科書的な構成があるようにも感じた。先に記したような、筆者の文章の軽妙さに加えて、それぞれのエピソードの写実性もまた、書籍を読み進めることを容易にしているだろう。それに加えて、筆者の深い知識に裏打ちされた、平易でありながら要点を抑えた記述もまた、物語の理解の前提となる(一方でその伝播自体が目的でもあろう)知識の浸透に大きく貢献しているように思われた。

他の読者の方も記載されていたと思うが、筆者の人間的魅力は明らかに会社の規模拡大と存続の大きな要素であったと思う。上場が延期になり、自社の株式を未上場で売る先としてSBIの北尾氏を思いつくと、3行右からはもう、


”物は試しだ。社長の木間良輔さんと二人で訪ねてみることにした”(p119)


と記載されている。そんなに簡単に会いたい人に会えるのだろうか。まして、相手はファンドの社長だというのに。あまりにも突破力がすごすぎないか。


“会ってみると意外だった。(…中略…)何の威圧感もなかった”(p120)


希望を上回る額を提示され、自ら訪問したにもかかわらず北尾氏の提案を断るという流れになって、この感想である。当人のセンスという他ないのだろうが、このセンスというのは、恐らく多くの人が抱いてしまう緊張感や気後れというものに縁がないということなのだと思う。すなわち、ある種の鈍感さがセンスなのだと思う。もっとも、その鈍感さとは落ち着いているという表現とも少し異なるように思える。性善説でどんどん他人へ接していくものの、嫌味や不快感を与えないのだろう。幸運だった、という言葉で片付けられてしまっている数々のエピソードも、他の当事者からみれば更に強烈なエピソードが出てくるのではないか、と思わされた。


もう1点、この書籍の見所があるとすれば、筆者が全社向けに送ったメールと、それに対する従業員からの返信だと思う。評者もしばしば、会社の偉い人から全社向けメッセージというものを受け取る。しかし、こうしたメールに返信を送った事例は、私自身はまだ見たことがない。そのため、返信が存在し、その数が複数であるということにまず驚いた。更に、社員の返信が持つ文章のトーンや意見の内容が多様であり(*サンプリングバイアスの懸念は無視する)、それによってまだ見ぬその社員たちの人となりを薄っすら想起させることにも驚いた。メッセージの射程や視界に関する深度と広さは人それぞれだが、会社員としての人間性は部署(職種)によってずいぶん規定されているのだな、とも感じた。分析する人、健康を気遣う人、今これやってますと営業報告をする人。色々な人がいて、その誰も彼もが会社への思い入れは強いようだった。評者は組織に対する忠誠心が常に欠乏しているので、ある種の羨ましささえ感じた。


同書と概ね同じ時間軸における不動産投資市場の盛衰を取り扱った名著、『不動産投資市場の研究』(https://str.toyokeizai.net/books/9784492732939/)の著者である金星潤氏は、本人のXの投稿にて、「この本が決定版として出たから、ぼくのやつはもう歴史的役割を終えたのだろうけど」と記した。ただ、評者からみると、この2冊は異なる視点からかつてのマーケットを記述した書籍であるので、相補的ではあれども、互換性のあるものではないように思う。川島氏の書籍は一人称的で、金氏の書籍は三人称的(分析的)な要素が強い。本書で不動産証券化に関わるビジネスに関心を持ったのち、更に深く不動産投資市場について理解したい、という意欲や関心を抱いた人が『不動産投資市場の研究』を手に取るということもこれから起こってくるだろう。というか、評者はそれを推奨したい。金先生、私はそろそろ二巻を読みたいです。

長くなりましたが、改めて言うとこの書籍はとても面白いのでおすすめです。ARESは書評を出したら10ポイントとかのはずなので、もっと皆さんの書評が読めたらいいなと思います。知人のマスター各位にも、本書を読んだらぜひ感想文などを書いてほしいものです。それが実務経験に惹きつけたものであれ、そうでないものであれ。
あと、この本が売れてもうちょっと色んな案件の当事者の本が色々出てきたらいいなと思います。こういうのもっと読みたい。

終わり。