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瞑想とは・・・

瞑想。
 
  
好きな人は、とても好きですね。座して、目を閉じ、落ち着いた状況の中で、集中する。
  
  
ヨガスタジオをやっていると、「私、瞑想をよくやるんです」っておっしゃられる方が一定数いらっしゃいます。そんなみなさんに共通して感じる、ある点があります。瞑想をよくやるとおっしゃられる方の多く(決して全員にそうは思っていないです)が、「ちょっと目が溶けている」感じを受けます。そんな方々にもう少しお話を伺うと、明らかに色々と悩んでいる。自分がやりたいことと、現実とのギャップを埋められなくなり過ぎている。「目が溶けている」というのはつまり、「現実を見ていない」感じを強く受けるのです。
 
 
きっと、「瞑想をする自分」を頭の中で作り上げてしまっているのだと思います。瞑想の目的は、「mindfulness」。マインドフルに生きる、すなわち「心が満ちた状態」というのは結果論であって、無理やり満たしに行ったらいけないのです。マインドフルって、自分で作り上げることじゃないんですよー! と強くお伝えしたいです。じゃあ、「結果的に満ちた状態って何? 」という話になります。
 
 
よく言うでしょ、「いま、ここ」って。僕はこの表現はあまり使わないですけど。でもわかりやすいから使いますね。「いま、ここ」に満足するには、「世界を知る努力」を怠ったらいけない。目線のベクトルを自分と世界の双方に向けてこそ、今の自分が世界の中でどこに立っているのかを知り、満足することができる。
 
 
自分に向けるベクトルなんて、簡単なんです。世界に向けるベクトルが本当に難しい。結局は世界の全部なんて知り得ないのだから。頑張って世界に視線を向けても、どうしても「自分が知っている世界」にしかならない。だからこそ、世界を見ようとする努力を怠ったらいけないのです。結果的に、「自分が知っている世界以外の世界が確実にあるんだよな」と思いながら、「自分」の立ち位置をその「自分が思う世界+きっと他にもあるであろう世界」の中で確認していく。
  
 
だから、目を閉じる時間が長くなればなるほど、世界が見えなくなっていく可能性が高い。もっと、世界を見に行かないと。 
 
  
僕は、いわゆる瞑想というものは全く行いません。違う形というか、生きることそのものが瞑想だとも思っている。散歩している時、街中を移動する時、食事をしている時。やろうと思えば誰でも、そしていつでも瞑想ができると思っています。
  
  
花を見る。美しいと感じる。
夕陽に出会う。長く見ていたいと願う。
誰かの笑顔。もっと笑わせようと試みる。
美味しいなと感じる。その背景に想いを馳せる。
  
 
そんなことが、マインドフルなんじゃないかなと感じています。わざわざ時間を作って、現実と乖離していく選択肢はマインドフルじゃないから。
 
 
世界はもっと、美しい。目を閉じるのではなく、しっかり見れたらいいですね。

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