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ねえロバート、聞いてくれる?

いつもそう。

何かを読んだり、話を聞いたり。感動して、感化されて、嬉しくて、楽しくて、感じた思いを文字に綴る。
さあ、投稿しようと意気込むと、格段にネームバリューをもつ人達が、私と酷似した気持ちを何千字にも渡って綴り、嫌というほど並んでいく。

「時すでに遅し」
怖気づいて、「公開」のボタンを押さずに下書きだけが溜まっていく。いくら書いてもそれは「人まね」ということを思い知らされる。

それが嫌で、焦って投稿してしまえばしまったで、基本の文章構成からアウト。失敗して学ぶとは言うものの、惨めで。

これまで何度削除したことか。

「無能」という言葉で自身を罵倒し続けて。最近特にそれが増えて来た気がして。

どうしたら読み手になれる?書き手になれる?どうしたら私の好きな人達の隣を歩いていける?毎日自問自答。今はそんな考えさえもおこがましいのだけど。

そんなことを毎日思いながら、ひたすら読み続けて、出せないかもとおもいつつ書いていく。それが積み重なって、ついには書けなくなっている。時間なんていくらでもあるのに。

読み続けて知れば知るほど、自分の「駄文力」に嫌気がさすのです。

矛盾してる。
人には「気軽に書いてみて」なんて知った口を聞くようなnoteを平気で書く癖に、自分の綴ったものって何だろうって蓋を開けてみれば、こんなの小学生でも書ける。小学生に失礼だ。それくらいつまらない。

より真実を求め、調べる。調べる。取材にも行き、許可を得て録音をし、インタビューしながら咀嚼して書く。書く。

ところが「申し訳ないけど、先日のインタビュー記事は出さないで欲しい。」と断りを入れられる。私の文章力がないからなのか、聞いてはならない事を無理やりほじくりだしてしまったのか分からないけど。

そんな下書きに埋もれて窒息しかけてる自分がいて。

そのタイミングで出会った本が「ロバート・ツルッパゲとの対話」だった。

著者である「ワタナベアニ」という写真家を知ったのは、嶋津さんからいただいた「きっかけ」から。

私にきっかけをくれた嶋津さんが、こんなに賞賛しているこのカタカナ表記の人ってどんな人なんだろう…と思ったのが一つ。
noteをフォローし、エッジのきいた文章を読み進め、写真を見ていくうちに、支配というか、心地よい服従のような気分を楽しんでいる自身がいました。

ああ、敵わないなあ。何かを言われても「ですよね。」しか言えない。
しかも笑いながら言える。見事術中にハマった「うすらバカ」の一人です。

そして素直に、表紙であるロバート・ツルッパゲ氏を見た時に「あ、いい男がいる。んふ。」とニヤついたことが決定打。CDで言う「ジャケ買い」です。

ゆっくりと味わいながら読みたかった。

その日に済ませるべき事を前倒しに済ませ、ロバートに失礼があってはならないとシャワーを浴び、ジントニックをいそいそと用意して。
BGMはお気に入りのチェリスト、ヨー・ヨー・マの「リベルタンゴ」。

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ページをめくる。

声が聞こえてくる文章。ロバートがずっと話しかけてくれるような。まさに「対話」。
ジントニックが薄くなっていく。焦げ付き気味の羽根突き餃子は冷めていく。そんなことを気にも留めず、読み続けた。それは次第に頭のなかで「聴き続けた」になっていく。そして私も話したくなっていた。

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ねえロバート、聞いてくれる?

私はまた失敗を犯してしまったのかな。BGMは「笑点」のオープニングでもいいと思うの。
哲学といえば、昔くだらないことで警察にとっつかまって、東京拘置所に放り込まれた知り合いに差し入れしたニーチェくらいで、私は慣れ親しんだ事が無いのだけど、ロバートが教えてくれることが哲学を読んだ上でのことなら、これから読んでみたいと思う。足りないのかどうかは別として。

でね、ロバート、聞いてくれる?

あなたにはこんな事関係ないかもしれないけど、私は本に対する恐怖心があったの。

亡くなった主人が読書家で、家の壁はありとあらゆる本で埋め尽くされていたの。丁寧に分類されて、埃が被らないようにガラスの扉がついている棚に納められていたのね。千冊は越えていたと思う。
ある日、読みたい本があって、そこから取り出そうとしたの。「これ面白そうだね」なんて気軽に。

そしたら、ものすごい逆鱗に触れたわけ。「罵詈雑言」って、こういう時につかうんだってお手本になりそうなくらい。想い出しただけで、未だに震えるんだけどさ。

手は洗ったのか。爪は短く切ってあるか。人差し指で引っ掛けるように本を引っ張るな。本の両脇を傷つけないように挟むようにして取り出せ。読むときは背表紙が折れないように20㎝以上開くな。しおりを挟むな。本のカバーをしおり代わりに使うな。そんなやつ本を読む資格も触る資格もない。途中で本を閉じる時は何ページだったか記憶くらい出来るし、メモを取ることくらいできるだろう。君が本を読んで何になるんだ。君には学がないんだから、そんな時間があるなら身体を使って働いてこい。

母親は未だに言う。「アンタの男を見る目がなかっただけ。」と。

そうかもね。幸せな時間もあったんだけどね。彼が罹った病気はそれさえも蝕んでいったわ。

それ以来、私は家で本を触ることを辞めてしまった。25年程、読書という行為から身を引いたの。恐怖しかなかった。

でもねロバート。
最近、やっとその呪縛から解かれようとしてるの。ゴッホのように、死んでからじゃなくて、死ぬ前でよかったと思う。本屋さんや図書館に行くと嬉しくて、時間を忘れてしまうくらい。そしていい人に恵まれて、あなたに巡り合えた。

ねえロバート、聞いてくれる?

あなたが話してくれる言葉を目で追っている時、私はその本を思い切り開いているわ。その方があなたの声がよく聞こえるし、この本に使われている赤がとても素敵だから。

家のベッドサイドだけではもったいなくて、他の人にあなたといることを自慢したくて、連れて歩いてる。時に川沿いの風に吹かれながら、時に片手にミスドのフレンチクルーラーを持ちながら。砂糖が少しついちゃったけど、あなたの言葉が変わることはないでしょう?

行きたくない場所へいく時間も、あなたが傍にいてくれると少しニヤけることができるから、お守りのように連れて歩いてる。明日は2年ぶりに美容院へ行くんだけど、その時ももちろん連れて行くわ。他人に刃物を向けられる恐怖でずっと行けなかったけど、最近やっと思い立って。髪が挟まったら後でパンパンはたくけど、痛くないようにするから。

そしてたまに、あなたも知っている「ワタナベアニ」っていう写真家が撮った写真を、ずっと眺めているの。

感想?見るたびに感じることが違うし、なにより言葉を知らないからうまく言えないけど、その言葉が上手に伝えられるように、これから沢山人にも会って、本も読む。思い切りしおりを挟みながら。

ここで登場する様々な国にも、足を運んでみたい。今は絶賛無職だから、まずは稼いでからね。そう思うとあんなに行きたくなかった職安への足取りも軽くなって、そこで理不尽な言いがかりをつけるおじさんも滑稽に見える。
不思議だよね。人の心って。こんな簡単にいい方にも悪い方にも向かってしまうのだから。

書くのを止めようかと思ったけど、書かずにいられなくてね。

今までの私ならまた下書きにしまって酔っぱらった勢いで削除してたかもしれないけど。

ねえ、ロバート。

ワタナベアニさんに伝えといて。

ありがとうって。

(ねえロバート、聞いてくれる?-Fin-)

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